2009年12月23日

confidentの裏返しになる

昨日、メールをチェックしたら二つの重要なメールが届いていた。一つはすでに20以上はもらってきた種の、表面的には後悔を表しているメール。そして、もう一通は招待状だった。こういうのは電話だと聞いていたので、驚いた。

そのあと、師匠とスカイプで話をしてアドバイスを乞う。Be Confidentというのが彼のメッセージらしい。確かに、ウソでも良いから自信たっぷりに自分を売り込まんといかんのだろう。また彼はこうもいった。日本人はpoliteで良いが、too politeなのはconfidentの裏返しととられることがあるので気を付けろ、と。

確かに言わんとするところはよくわかる。謙虚だとこの業界では生き残れないだろうことは想像できる。てことは、日本人は言語だけでなく、礼儀・行動的な部分でもある意味ハンディを負ってるのかもしれない。もちろん、それが役に立っているところもあるとは思うが。

例えばこんな感じか?

日本人:私のつたない英語を聴いていただきありがとうございました
自信家:オレ様の英語がわからんのか

日本人:今回はあくまでプレリミナリーなデータとしてお話させていただきます
自信家:オレがこれから言うことは絶対正しいからよく聞け

日本人:例外的な値もありましたが、統計値として見ればこの結論を引き出すことは可能かと思っております
自信家:多くのサンプルで一貫した結果が得られたので、我々の解釈は正しい

日本人:いえいえ、私の研究など大したことございませんよ
自信家:オレ様の研究は、世界中探してもトップクラス。そんなこと言わんでもわかるやろ

という具合でいけば良いのか。。。(たぶん、その間が良いのだろう)

もしかしたら、日本人の書く論文には、こういう謙虚な姿勢が出てしまって、それでアンフェアにリジェクトを喰らったりしてないのだろうか、という気もしてきた。確かにネガティブな印象を与えるようなことは絶対に避けるべきなのだろう。先日の提案書書きでもそれを一部指摘された。

それにしても、なぜ日本では謙虚さをよしとする風習が根付いたのだろうか。クリスマス・イブにKFCを食べることのように不思議な気がしてきた。何かしらfitnessが上がる方向に働いたのではないかとは思うが、それは日本国内で通じてそれが国内だけで増幅されていったのか、それとも世界を相手にしても何かしら強みがあったのか、宗教的なものが関係するのか、これ以上深く考えるスベを持ち合わせてはいない。

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話は変わって、昨日の昼前、H1N1の予防接種を受けた。H1N1にはすでにかかった気もするが、タダだし、優先順位の高い受けるべき人はもうすでに受けただろうし、一応、6ヶ月未満の子供もいるので、受けた。ヴァクチンは、僕も実験で動物に打つ麻酔薬と同じタイプのビンに入っていた。そして、2種類の液(一つは生食?)をシリンジの中で混ぜてはブスっと打っていた。まるで動物に麻酔をかけるような感覚で。

さらに、僕の前まで肩のアルコール消毒もせずに打っていて、たまたま僕の番が来た時に、一旦狭い診察室のドアをクローズして何かをセットアップしたようだった。その後、僕の番では、確かに肩をアルコール消毒してから打っていた。(良いんか?)

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ちなみに昨日は、7回目の結婚記念日だった。少し早めに帰ってディナー。といっても、子連れの外食は大変そうだから、と嫁さんが言うので、うちでいつもより豪華な食事を食べた。だからといって、僕が何かを手伝うわけでもなく、何かを外から買ってくるわけでもなく、嫁さんが頑張って豪華な料理を作ってくれた。

それにしても、7年、あっという間だった。これまで数多くの紛争を経験してきたおかげか、この半年くらいはそう悪くない気もする。お互い「妥協点」が見えてきて、瞬間的な状況は前とは全く変わっていなくても、お互いの中での文脈が変わったから、その「瞬間」の結果が違ってきているのかもしれない。比較的平和な家庭になってきたのかもしれない。

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今日、台本を作った。アナログで考える、ということを今回は本気で採用した。確かに、作るであろう、あるいは作るべきスライドをイメージしながら台本を作っていくのは、面倒な作業のように思っていたが、実は非常に効率の良い、そして、結果的にも非常に効果的なやり方かもしれない。もう少しブラッシュアップしたら、次はスライドつくりになるが、台本ができてしまえば、何を作るべきか、すでに明確になっている気もする。

2 コメント:

viking さんのコメント...

おお、インタビューぜひぜひ頑張ってください! 良い結果になりますよう、海の向こうから祈念しております。

ところで、日本人は何でここまで謙虚なんでしょうかね? あちこちで必ず「トンデモ論」だと怒られる説ですが、個人的にはやはり日本人というか大和民族が稲作文化を背景とする農耕民族だからではないかと思います。

山がちな島国で農耕に適した土地が豊富とはいえない中で、自然と集団で稲作を行うようになっていったプロセスを経て、「スムーズに集団を運営する」ためのストラテジーとして個々人に「謙虚さ」が求められるようになったのではないでしょうか?

日本の歴史を見ていて面白いのは、変革期には必ず成果主義社会が発生して、安定期に移ると必ず成果主義を捨ててしまうところですよね。飛鳥→奈良、奈良→平安、平安→鎌倉、鎌倉→室町、室町→(戦国)→江戸、江戸→明治・・・全ての政変において、政変の真っ只中では成果主義的な人材登用が行われるのに、ひとたび政変が収まると元通り縁故採用だらけになってしまうのです。

今の日本は太平洋戦争という究極の政変を経た後の絶対的な安定期にありますので、もはや成果主義社会にはならないのではないか?という気すらします・・・。

Shuzo さんのコメント...

ありがとうございます!
インタビューへの招待、かなりラッキーな側面があって、その辺は後日レポートします。

といっても、インタビューに呼ばれた時点でまだ倍率は3~4倍あるのが普通なので、まだ厳しい状況には変わりはないです。

特に私には「言葉」という大きな壁が。。。とにかく準備だけはしっかりして、「自信」という皮が剥がれ落ちないように頑張ります。

ところで謙虚さについての仮説、面白いですね。
これまでの、競争の程度、というのが関係があるような気もします。

競争が激しい時、相手に道を譲ってたら生き残れないでしょうから、もしかすると、日本は良い意味でも悪い意味でも、生存を脅かすような相手との競争が少なかった・むしろ減らそうとしたなのかもしれないですね。その意味では、下手な争いを避けるのと「スムーズに集団を運営する」というのは共通項がある気もします。(それが農耕と関係があるかは、私はno ideaですが・・・笑)

あと、間違いなく自分より強い相手に対しては、表面的にはペコペコ頭を下げていた方が、生き残れる気もするので、もしかしたら、そういう側面からも謙虚さが増幅されたかもしれません(その分、本心で何を考えているか読みにくいと、外人からは思われるのやもしれませんが。。。)

変革期に成果主義が出たというのは、なるほど、です。変革期は競争が激しくなって、文字通り過去の価値観が変わる時期でしょうから、その時に新しい価値を作り出せるような強い人がトップになるような感じ、でしょうか。

内紛、外圧、いろんな要因が絡んできそうですね。

いずれにせよ、研究者は、あくまで研究という文脈では、謙虚さはあまり良くないかもしれないですね。。。特にこのご時世。。。

プライベートでもそうだと嫌われそう(その意味ではfitnessが下がる?)だから、使い分けないといけないですね。。。