2010年5月31日

発注開始、送別パーティー、運動会

この一週間もいろいろあったので、それをまた長々と。

スタートアップ資金のソース3つのうち、少なくとも一つはレディーになった。注文して届くまでに時間がかかりそうなものについて、先週見積りを取っては、その一部だけを大学側へ発注を依頼。ソースが3つだと、どのお金でどの品を買うか考える必要があるのでややこしい。うれしい悲鳴、ではなく、単に面倒。

UKでモノを買う時の事務プロセスはこれから勉強しないといけないけど、どんなルートで欲しいものをゲットすべきか少しずつわかってきた。というか、基本的には、米国と同じ印象。

もし欲しい品を米国の会社が売ってる場合、直接問い合わせて見積りをドルベースで取って、その時の為替に合わせて購入するもよう。それに、多くの会社はUKにも支店があったりするから、基本的にはアメリカで使ってたものをそのまま買える雰囲気で、新しい会社を特別探す必要は今のところ要求されていない。

日本、US、UKの3つを比べると、日本はホントにお金を浪費してると改めて思った。。。いわゆる「代理店」の壁。

実は、今回発注依頼した品に関して、今年に入って日本の代理店にも見積りをお願いしたことがある(その時点では見積りを依頼する理由があったので)。

ウワサ通り、1.5倍以上余計に払わないと同じものが手に入らないことをこの目で確認できた。

とすると例えば、1000万円のスタートアップ資金で、米国製の研究装置を購入したいとする。単純計算で、600万円くらいの価値のもので妥協しないといけない。いくら研究者が優秀でも、研究規模が違ってしまうと研究結果・仕事の効率は自ずと変わってしまう。。。特に、僕の研究分野だとそれは致命傷。。。規模縮小しただけで、できるはずのことができなくなってしまう。。。

もちろん、米国へ流れるやもしれなかった国の税金を、日本国内企業に一部流す、という経済効果は期待されるやもしれない。が、みんなしてiPad買ってる姿をニュースなんかで見てると、研究費も米国に流して別に問題ないじゃん、という気もする。。。それで研究の「量」が上がれば国益にもかなうはずだし。

「サービス料」に税金を浪費して、結果的に若手の研究力を落とすのは、非常に問題。

大いに脱線。。。

先週、発注手続きをスタートさせたのは良いけど、別に問題が浮上。
6月に動物実験講習会を受けに行くつもりだったけど、どうやらすでに定員に達していたようで、6月に受けるのは難しい情勢に。下手すると、これはBP問題みたいに、解決するのに数ヶ月要する問題へと発展する気がしてきた。。。出鼻をくじかれる、とはまさにこのことを言う。

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と、自分のセットアップのことはともかく、先週、同僚ハイメがついにラボ最終日を迎えた。

毎週金曜日の夕方、研究所内の一部の人たちがサッカーをやっている。僕は3年位前に引退して以来全く参加してなかったのだけれども、金曜日はハイメのラストゲームということで、参加。

ハイメのいてたチームが逆転して結果は圧勝。

それにしても、サッカーは疲れる。。。日本が弱いとか言う前に、やはり自分でやってみると、如何に彼らでもすごいことをやってるんだとよくわかった。

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そして翌日、土曜日。

朝からいつものように長女を補習校へ。翌日運動会ということで、僕はライン引きのボランティア作業をやる。

午後から雨が心配されてたので、ボランティア総勢10人くらいテキパキと仕事をこなし、ベースボールフィールドの外野の芝生上に立派なトラックができあがった。

ちなみに、ライン引きは石灰ではなく、白のスプレーを使って引いた。はじめて見たけど、スプレー缶を逆さにセットする芝刈り機みたいな専用機械があって、引くべきラインをロープできっちりセットしては、その上をそのスプレーマシーンでなぞっていった。

所要時間2時間。

ライン引きなんて簡単だろうと思ってたけど、なかなか大変な作業だった。。。

ボランティアにはもれなく弁当付きということで、作業後、幕の内弁当をいただく。

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同じく、土曜日の夜はハイメのお別れパーティー。

ジャージーシティーの彼の自宅で開催。ボス亡き後、オフィシャルな送別会はもはや開催されないので、こういうプライベートなパーティーが最後のパーティーとなってしまう。

しげさんを車でピックアップして南下し、開始時刻8時を10分強回ったあたりで彼のうちに着いた。が、誰もきてなかった。。。。

こっちに来て学んだことの一つは、8時スタート、と言われたら1時間遅れくらいで行くのがベストタイミング、ということ。。。つい、時間通りに行ってしまう日本人癖。

ちなみに、ハイメによると、スペインでは10時くらいからスタートするのは普通らしい。。。

結局、パーティーには総勢20人強は集まっただろうか。実は、その場には日本人4人もいて、意外とアジア人率が高かった。

翌日、朝から運動会が控えていたので、23時になった時点でお暇することに。最後はハイメとハグ。

彼がラボに来たのは1年半くらい前だったか。すでにネイチャー論文を持ってることは知ってたけど、やっぱり超優秀な男だった。同じくスペイン人のアルフォンソとすごく良いペアで、二人で熱く激論を毎日のようにかわしている姿は、正直メチャクチャうらやましかった。その激論がサイエンス論文になったわけだから、ホントに良いモノを見させてもらった。と、短い間だったけど、彼からもいろいろ学べた気がする。そのハイメはスペインで独立する。同じEU圏だし、これからもいろいろ交流を続けたいところ。

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日曜日は運動会。

朝8時過ぎから、またボランティア関連の仕事があるということで、一家総出で少し早めに補習校へ。
前日引いたラインの補強をやった後、また声をかけられて、荷物運搬のボランティアを。
よく働いた。。。。

運動会は9時半からスタートで、下は幼児部から上は高校までクラスがあるから、それなりの規模の運動会だった。

親として運動会なるものに参加するのは初めてだったけど、席取りにみんな気合いを入れてることがよくわかった。8時過ぎに着いた時点で、最前列はすでに占拠されていた。。。しかも驚いたことに、多くの人はまるでBBQでもはじめるかのように、超充実したキャンプ・アウトドアグッズをセットアップしていた。

ゴザ&日傘とかではなく、折りたたみテーブル・椅子、ビーチパラソル、さらにはテント。。。さすがにBBQをしてる人はいてなかったが、日本でも今はみんなそんな感じなのだろうか。。。カルチャーショック。

ちなみに、しっかり写真撮影コーナーなるスペースが2箇所設けられていて、みんな自分の子供が出場する時に、そこに集まっては写真やビデオ撮影する感じになってた。そこに終始ビデオ三脚を設置してる人はいてなかったので、その辺はストレス・フリーだった。

ちなみに、運動会の内容そのものは意外と楽しくて、自分の子供が出ない競技でも、一つ一つが15分くらいと短時間だから、飽きずに進行していった。

長女がまず登場したのは40m走。
期待はしてなかったのだけれども、スタートの時よそ見をしてて、スタート出遅れ。。。順位は推して知るべし。。。

あとで嫁さんと、「あの注意散漫ぶりは誰に似たんだ」と口論のネタになる。。。

が、次のお遊戯。
簡単な組体操とそれなりにノリの良い曲に合わせて踊るダンスだったけど、客観的に見ても、うちの子はイケてた(親ばか?)。

バランス感覚が良くて、ダンスにキレがあった(他の子との比較)。

アスリートではなく、こっちには投資価値があるやもしれない。

もう一つ、親子で玉入れ、という企画があった。子供中心で親の出番はないだろうと思って、玉入れは嫁さんに任せて、僕は写真撮影担当に。

がその玉入れ、まず子供だけ、そして親だけ、の玉入れだった。。。もちろん、嫁さんに託したことが敗因ではないとは思うが、属していた白組の大敗に終わった。。。

幼児部は午前で終了ということで、ランチを食べて帰った。

と、親の方がエンジョイしたのではないか、という運動会だった。スコットランドに行くと、こういうのを二度と体験できないかもしれないと思うとちと淋しい。

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ちなみに今日はメモリアルデーで正式に夏に。

今日も通常営業だったけど、午前中は一人だけだった。

ハイメがいなくなって、ラボメンバーはアルフォンソと二人だけになり、同じオフィスにいるメンバーはアロンも入れてマックス3人。。。

空きデスクが、今数えたら、8人分もあるなんとも淋しい状況になってしまった。。。アルフォンソは11月くらいに出ると言っているので、ハリスラボ消滅まで残り半年くらいか。

2010年5月23日

少しずつ前進、訓練、9時間呑み会

この一週間もいろいろあった。

水・木とボスがミーティングのついでにラトガーズに寄った。木曜日例のごとく、キャンパス内のスタバへ行って1時間くらい会話。プロジェクトの話から、UKのこと、どうやって良い人材を探すか、といったことを話す。

ストラスクライド大。こちらとも継続的に連絡を取っている。UKでは動物実験のルールが非常に厳格で、まずライセンスを得るために数日間のコースを受ける必要があるらしい。ちょうど6月中旬ケンブリッジ大でコースがあるらしく、そのコースに参加できるようお願いをする。

他には研究スペースの一部がまだ決まってなかったので、そのやりとりを。2部屋与えてもらったのだけれども、当面は狭い方の部屋を主に使うことになりそう。お金があれば、もう一部屋、それもそれなりに広い部屋の方、も使い道があるのだが、、、

さらに、スタートアップ資金は3つのソースから出してもらうことになっていて、その一つは3ページの申請書を一応書く必要があり、この一週間それを書く(いわゆる学内グラント)。

生活関連の準備は、ウェブでいろいろ調べていったら、住みたいところはすでにかなり絞られてきて、結局Newton Mearnsというグラスゴー郊外に住むことになりそう。

・学校の質が良い
・将来家を買うにもアフォーダルな価格帯(なので、レントも安い)
・近くにショッピングセンターもある

という3つが決め手。問題は、少し前のエントリーで書いたように、通勤手段。朝40分くらいのバス通勤になる。時間は良いのだけれども、冬にバス停で待ったりするのはちょっと不安要因ではある。メチャ寒そう。。。あと、バスに乗っている時間帯をどう過ごすか、試行錯誤しないといけないのだろう。。論文を読んだり、メール対応したり、となると、やはりiPadか?

と、住む場所は絞られてきたので、6月に家族全員でグラスゴーへ行くというよりは、僕が動物実験のコースを受けに行ったついでに一人でグラスゴーへ行けば十分なのでは、ということになってきた。

確かに家族全員で行くとなると、結構お金がかかる。。。(結局はこれ)
仮にストラスクライドに負担してもらうとしても、まず自腹を切って後日reimbursementをお願いすることになる。ビザ申請費がヤクザに高かったり、引越し代など、一時的に大きな出費が続きそうで、少し計算したら、短期的にクライシスが起りそう。。。

それにしても、生活関連の情報探し、5年前のアメリカに来る時より随分と便利になった。特にGoogle mapを使えば、今マーケットに出てるレントの周りにどんな家が建ってるかなんて情報を映像として入手できるわけで、他の情報そのものも多様化してるし、非常に良い。

残る不安はUKビザ。
もしかしたら7月中旬に申請することになりそうで、ホントに7月末までに手に入るのか?とにかく、6,7月とバタバタなスケジュールになりそう。行ったら行ったで、生活&ラボのセットアップがあってさらに忙しくなるのか。。。

もう一つ。ストラスクライドは他のスコットランドの主要大学と、米国の超有名大学とコネクションがあるもようで(正確にはそのための大きなお金が最近当たったか、天から振ってきたらしい)、結構棚ボタ的な話が金曜日舞い込んできた。こういう情報が入ってくるのは、今まではなかった話ではある。

昨日土曜日はというと、長女が通ってる補習校で、来週に迫った運動会のボランティアの説明会。僕は「ライン係」のボランティアをすることにしていて、運動会前日にトラックのラインをひく。中学生か高校生以来。そのごくごく簡単な説明会があった。

さらにこの日は緊急下校訓練。火事が発生したという設定で、学校へ行って子供をピックアップする、という訓練。

「連絡網」が機能するか、子供引取りの際保護者であることを示すカードを出す必要があるのだけれども、それができるか、(親を)試すための訓練だった。学校では、子供たちは普通に普通の授業をこなしていて、特にグランドに出て整列、みたいな避難訓練ではなかった。電話の連絡は、x時xx分にピックアップに来い、という時間指定の伝言だったし。。。

それはともかく、昔ながらのシリアルに連絡をまわす連絡網は、ボチボチ見直した方が良いのかも。例えば、最後の順番になっている人は、そこに連絡が周ってくるまで時間がかかる上に、もしも連絡が途中で途絶えたら、危険なことが起ったことすら知らないまま、、、ということになる。今ならテキストメッセージで一斉に送れる訳だから、そういう制度も入れた方が良いのだろう。

それはともかく11時半ごろ長女をピックアップしてうちに帰って、僕は一人マンハッタンへ。

いつものメンツで昼間から呑み会。
ビレッジの牛角でまず肉をたらふく食べて、東へ行って、イタリアン系のカフェレストランへ行って呑んで、さらに歩いて中華レストランで3次会。9時間強にも及ぶ呑み会だった。こんな長時間飲み会なんて、大学のサークルの新歓・お別れコンパ以来だったんではないか。あの時はオールナイトで、明け方ボロボロになってたが。。。

今回の呑み会の主旨は、一応、僕の就活終了記念で、(ネタとして)高校からの生い立ち?から今にいたるまで話をさせられたり。。。とにかく、相変わらず楽しい呑み会でした。いつものメンツで呑み会はもしかしたら来月の送別パーティーだけかもしれないと思うと淋しいけど、みんな神経科学者だし、学会などでまた集まって呑みたいところ。

ちなみに牛角。
ランチに行くと非常にお得だった。ビールも半額で、良い感じで飲み食いできて30ドルくらいだった。全く同じものを食べながら、夜ならその倍はするはず。。。中華は、ちょっと塩分がきつめだったりしたけど、アルコール持込みOKのお店で、メニューに日本語があったりと、まずまずのお店だった。

帰宅は12時。朝からいろいろあって充実の土曜日だった。

ちなみに今晩のおかずは韓国風焼肉だった。。。
二日連続で焼肉だった。。。
嫁さんのいやがらせか!?

TOEIC speaking&writing test

TOEICを受ける必要があって、先週土曜日に受けた。
テスト内容はcofidential、という宣誓書にサインさせられたので、テスト内容はコメントできないけど、どんな経緯で、どこで、どうやって受けてきたかをまとめます。

UKビザTier2(General)取得のためには、英語力証明が必須で、いくつもある選択肢の中でTOEICがなじみのある選択肢なのでTOEICを受けることにした。

アメリカでもTOEICを受けることは可能で、こちらを調べていくと、どこで・いつ受けれて、どうやって受験登録できるかわかる。ついでに簡単な試験内容の説明もある。

TOEICには2カテゴリー、Listening&ReadingとSpeaking&Writingのテストがあって、UKビザでは両方を受けて基準点を満たす必要がある。

Listening&Readingは日本で一回だけ受けたことのあるマークシートのやつで、住んでる町で受けれることがわかった。こちらは来月受ける予定。

他方のSpeaking&Writingが今回受けたテスト。

まず受験登録はAMIDEASTという中東系の会社が扱っていて、近場としてフィラデルフィアで受験可能だったので、早速問い合わせ。

なかなかプロフェッショナルな会社で、メールで問い合わせてしばらく返事がなく、電話したら留守電で、それにメッセージを残してもコールバックなし、ウェブのフォームさらにもう一度メールを送ってようやくメールが返ってきた。

何とか受けれるようになって、料金は120ドル。

受験日は5月15日11時から。
場所はフィラデルフィア郊外のWizard Language Education Centerであって、ここへのアクセスがこれまたすばらしく便利だった:

車があれば2時間くらいのドライブで行けるのだろうけど、試験日は土曜日で車は長女の補習校送迎で必要なので、僕は早朝から公共交通を利用することに。

11時に会場に着くには、始発バスに乗ってマンハッタンへ行き、NJTransitの電車でTrentonへ行って、そこからSEPTAというTrenton―Phidaldelphia間のローカル電車に乗って、さらに最寄駅からバスに乗って会場へ行く必要があった。

グーグルマップの見積りによると、朝6時頃のバスで行けば、11時少し前に着く、という計算。
なので、前夜は2時半就寝、5時起きのベストコンディションで出発。

まず始発バスだが、まず20分強遅れる。。。これでマンハッタンからトレントンまでの予定していた電車にはどう頑張っても乗れないことが確定。。。

1本遅い電車は1時間後で、会場に11時に着くのはギリギリか極めて困難な状況になる。。。

最近値上げしたばかりのNJTransitの電車はすばらしく高速な電車で、途中、エンジントラブルか何かで10分くらい遅れてトレントンへ到着。(NJTransitサイコー!)

SEPTAに乗り、Holmesburg Junctionなる無人駅へ到着。予定より1時間遅れ。

試験開始予定時刻まで残り40分。時間はあるといえばあるけど、問題はバス。
電車の中でkindleについてるローテク・ウェブブラウザーで検索した限り、次のバスは11時過ぎでアウト。。基本的に1時間に1本しかないバスに乗らないと行けず、一本前のバスに乗らないと間に合わないことになっていた。

もちろんタクシーなんて拾える都会ではないから、選択肢は
1.ヒッチハイク
2.3マイル強の距離を足で移動
くらいしかなかった。2の選択肢だと全距離完走できればギリギリ間に合う計算をできなくはなかったけど、普段運動なんてしてない人間が5キロマラソンなんてできるわけもない。。そんな根性もないし。。。

とりあえず走ったり歩いたりしていたら、路駐から出発しそうな車があって、そのドライバーの黒人女性にコンタクトを試みてみた。
が、やはり乗せるのは無理、と言われ、しかたなく足で移動。。。

とにかく遠かった。。。

11時に着くのは諦めて、とにかく顔だけ出して、
1.一部の点数はゼロで良いからとにかく途中からでも受けさせてもらう
2.この日は諦めて受講費は次回のクレジットにしてもらうようネゴる
という選択肢を考えながら長い道のりを進む。

着いたのは11時15分くらいだったか。

試験を受ける語学教室で働いていた女性に、TOEIC受けにきたんだけど、と伝えると、受付と試験のセットアップをスタートしてくれた。。。遅れたことは全く問題なかった。

そこではまるで時間の概念がないようだった。。。

とにかく受けれることがわかって一安心。
結局、試験のセットアップそのものに時間がかかり、しばらく待合室みたいなところで待つことになって、そこにはなぜかドーナツもあって、ランチ代わりにいただく。

受験者は僕一人。。。

試験は1時間半程度。
基準点はクリアしたと信じたいけど、スピーキング力のなさを改めて痛感。

2時ごろだったか、試験が終わったらすぐにNJを目指す。
受付のお姉さんも、遠いところはるばる気の毒に、、、という感じだった。

帰りはタイミングよくバスが来て、行き1時間弱かかった道のりを10分くらいでサクッと行けて駅へ。帰りはストレス・フリーで帰れた。

帰宅は18時ごろ。
12時間の小旅行だったけど、前日までの疲れもあって、この日は9時ごろには寝た。。。とりあえず、UKビザ取得に一歩前進した(たぶん)

スコアは来週末か再来週にはわかるはず。
ただ、担当会社があまりにもプロフェッショナルな感じだから、また何かトラブルのではないかと危惧している。。。

to be continued...

H1Bビザ取得

先週5/10~5/14、オタワへ行ってH1Bビザと家族用H4ビザを無事(?)ゲットしたのでそのまとめ。
ちなみに、これまでJ1(2年ルール適用)で5年間ポスドクとして働き、今回のH1Bも同じ大学で働くためのビザ。無謀にもH1Bは新規。

<予約>
面接予約は、数週間前から毎朝オタワやモントリオールの空き状況をチェック。オタワは、月曜日分の空きがよく出ていたけど、火曜日以降の予約を取りたかったので待つ。すると、5月7日(金)の朝、翌週火曜日の空きが出たので予約。(*もしもDS-160の入力をしていなかったら、こういうことをするとリスクを負う。。。以下詳述。)

<オタワへ>
予約したその日に、新規フォームであるDS-160を家族分入力して、必要書類を用意した。DS-160の入力、結構時間がかかって、3人分入力するのに半日以上かかった。。。

翌週、月曜日早朝にNJを出て、車でオタワを目指す。8時間で到着。
ホテル(Days Inn)にチェックイン後、近くのScotiabankへ行ってビザ申請費三人分支払う。

<面接>
火曜朝9時の予約で、8時40分ごろ大使館に着いたら、外でほとんど待たず中でセキュリティーチェック。

チェック後、中に入ると3つのステップあった。

まず、必須書類提出。
・パスポート
・申請費の振込み用紙
・H1B申請者のI-797
・DS-160の確認ページ
を窓口で提出。列ができていて、20分以上待ったのではないか?

待合室の椅子に座って5~10分くらい待ったら、名前を呼ばれ、指紋のスキャン。
この時、窓口の親切そうなおばさんに「面接予約を最近したでしょ?情報を確認できないのよ」と。。。一方、「no problem」とも。(*実は、これがproblemになる。。。)

さらに、椅子に座って5~10分くらい待って、名前を呼ばれ、質問に答えたり補足書類を見せたりしながらH1Bの資格があるかチェック。いわゆるインタビュー。

まず要求されたのが
・I-129
が、これは大学側からもらっていなかったので、手元にあった
・LCA(the Labor Condition Application)
のコピーを見せた。(基本的にはこれでOKだったけど、やはりI-129のコピーを大学で入手しておいた方が良かったかも。。。やや冷や汗。)
他には、
・2年ルールウェーバーの証明書(これもフォームとしてはI-797)
・最近の給与明細(すでに同じところで働いているので)
・大学からもらっていたアポイントメントレター(Deanさんのサインと年俸が明記されてるレター)
さらに、家族用H4のインタビューとして
・I-797
・結婚証明書(嫁さん用)
・出生証明書(長女用)
を提出。

いくつか質問は受けたけど、どんな研究か?といったちょっとした確認的な質問。
確認後、パスポート以外の書類はすべて返却してもらう。

おそらく通常なら、翌日午後にビザが発行されることになっていたはず。

が、僕の場合、
ビザの資格は満たしてるけど、情報をデータベースで確認できないから発行が数日遅れるわよ
と言われる。。。(あいたたた・・・)

どうやら、DS-160のデータベース上で情報を確認できないといけないようで、DS160の情報入力後、そのデータが反映されるのに通常数日かかるもよう。データベースの更新は、一件ごとにマニュアルでやるわけではもちろんないらしく、定期的に行われていて、とにかくシステムさまに従わざるを得ないと。。。(電子化してる意味あるんか、という気もするが、That’s America.なのでここは耐えるしかない、ということを過去5年間で学んだ。。。)

メールアドレス教えてくれたら連絡するから
と言われ、アドレスを紙に書いて渡してインタビュー終了。

と、パスポート引き換え券は一応もらい、大使館をあとに。その引き換え券にはパスポート引渡し日時が、
TBD
と書かれていた。。。

なので、もしもDS-160を1週間以上ゆとりを持って用意して面接に臨めば何の問題もなかったのだろう。。。(あとで調べた限り、そんな重要なことどこにも書いてあらへんし。。。That’s America.)

<ビザゲット>
想定外のカナダ滞在については、以下に書くとして、ここではビザゲットの様子をまず。

火曜日にインタビューが終わり、金曜日昼過ぎに「今日の15時以降パスポート取りに来て」というメールが来た。

急いで引き換え券を持参して一人で大使館へ。

門をくぐり、セキュリティーチェックを受け、インタビューを受けた窓口へ。もちろん、待合室には誰もいなくて、オフィサーたちだけが働いていた。その窓口で引き換え券を渡すと、すぐにパスポートを渡してもらい、ビザの内容を確認して、大使館を出て、車でアメリカを目指す。

再入国審査は、いつものように建物へ行くよう案内され、30分くらいで入国OKのサインが出た。その際、パスポート&ビザ、それからI-797はもちろん必須。

そのままNJを目指し、深夜1時ごろ無事到着。

ということで、H1Bという意味では新規ビザで、母国外での申請だったけれども、何とかビザをゲットできた。

DS160入力はお早めに、というのが今回学んだ教訓。。。

<オタワ観光>
ここからは観光のみなので、もしも興味があれば読んでやってください。。。

10日(月)
出発の日。5時前に起きては、5時半に出発。外は寒くて、車は暖房をつけないといけないくらいだった。

ペンシルヴァニア、ニューヨーク州と入り、12時前にカナダ国境へ。カナダのオフィサーはいつもながら良い感じでストレス・フリー。隣の国なのになぜこうも違うのだろう。。。

あっさり入国できて、さらに1時間半くらい運転してオタワへ到着。休憩もたくさんしたけど、合計8時間で着いた。

ホテルは前回のJビザ更新同様Days Innへ。このホテルはダウンタウンにしては安くて、駐車場もあって、近くにmetroというスーパーもあって、大使館まで徒歩圏内で、しかもフリーWiFiがあって非常に便利。あらかじめ2泊分予約していた。

実は数日前から次女が少しだけ鼻水が出ていて、この日、嫁さんが風邪っぽかったので、夕食には、近くのスーパーmetroで惣菜を買ってきてホテルで食べた。ついでに朝食の買出しもした。

翌日のインタビューに備え早めに就寝。

11日(火)
午前インタビュー。インタビューの結果、いつビザがでるかわからないことになって、かなりブルーになってホテルへ戻る。。。

やっちまったよ、おい・・・と思いながら。。。
嫁さんと「苦笑」せざるを得ない感じだった。。。(苦笑)

カナダ長期滞在を覚悟しながら、食費はできるだけ節約しようということにして、ランチはこれまたmetroでサンドイッチ系を買って車内で食べる。

まず自然博物館を目指したが、改装中のため閉まっていた。。。
なので、Canada Agriculture Museumへ行ってみる。

ダウンタウンから川沿いにドライブして行ったら、途中のチューリップが非常にきれいだった。

さて、そのミュージアム、入場料のもとを取るのがなかなか大変なミュージアムだった。。。ミュージアムというよりは、ファームに毛が生えたような感じで、キッズ連れでなければ、絶対もとは取れないだろう。。。

何があったかというと、文字通り家畜系はいるけど、なんと言うか、これでお金を取るんか?というものが主だった。。。唯一充実していたのは、ミツバチ関連のヤカタ。ここはミュージアムっぽかった。

敷地の中央には普通の公園のような遊び場があって、アトラクションよりはここで時間を過ごす時間の方が長かった気がする。。。

リピーターはいるのだろうか?

帰り、ちょっと路駐してきれいなチューリップを見てホテルへ。
夕食は、ホテルの前にあるファーストフード系のピザ。これまたテイクアウトしてホテルで食べる。なかなか豪華な食事。。。

翌日のホテルを探さないといけなくて、expediaで調べていたら、川を越えたケベック側にChateau Cartierなるリゾートホテルに意外と安く泊まれることがわかった。予約。


12日(水)
まず、ホテルをチェックアウト。

科学技術ミュージアムへ。

なかなか楽しめた。
ステージみたいなところもあって、1時間おきくらいに、お姉さんがフランス語と英語を使い分けながらサイエンスイベントをキッズ向けにやっていて、結構楽しかった。こういうのもいわゆる「アウトリーチ」の活動になるんだろうか?と思いながら楽しんだ。

長女もそれなりに楽しんだもよう。

帰りに「何か勉強した?」と聞いても、「何も」と言っておったが。。。

予定なら、この帰りにビザ付きパスポートを受け取ってアメリカを目指す予定だったわけだけれども、目指したのは、反対方向のケベック州。

その前にまず翌日の朝食の買出しをしようということで、またまたmetroへ。

娘たちが寝ていたので、嫁さんが買出しで、僕は車内で待機。
その時、あることに気付いた。

PC類やパスポート引き換え券等、超重要物をいれてたバックパックが車内になかった。。。(またまたやってもうた。。。)

確かに朝、チェックアウトした時、リュックを背負った記憶がなかったので、ホテルに忘れてきただろうと疑い、嫁さんのショッピングが終わり次第、走ってホテルへ。

フロントのお姉さんに事情を説明すると、バックをしっかりキープしてくれていた。。。危うくラップトップはもちろん、パスポートの引き換え券までロスって、路頭に迷うところだった。。。こんなチョンボをするなんて、どうかしてる。。。

その後、予約したリゾートホテルを車で目指したのだけれども、道を曲がりそこない、文字通り路頭に迷った。。。人に聞いたりしながら、普通なら20~30分もあれば行けるような距離を2時間弱さまよって、ようやくたどり着いた。。。

そのホテル、いわゆるバブリーなリゾートホテルを想像すれば良くて、外観から部屋までメチャクチャ良くて、ゴルフやテニスもタダでできたもよう。料金は一泊100ドルくらいで、オタワのダウンタウンに泊まるよりは安く泊まれた。部屋は非常に広くてきれいで、10ヶ月の次女をカーペットの上でハイハイさせても問題なさそうだったので、我々の負担がやや軽減。

こんなホテルに泊まることは普段ありえないし、不幸中の幸いといえばそうだったかも。

夕食は、そのリゾートホテルから少し西へ行ったところにモールがあって、St Hubertのテイクアウトを買う。チキンのファーストフードで、レストランも併設されていた。

ヴォリュームもあって、たまに食べるには悪くないところかも。

大使館からはメールはないということで、翌日のホテル、また同じホテルを予約する。ホテルのフロントに尋ねたら、expedia経由で予約してるから、延泊はそっちでやらないと同じ料金で泊まれないらしく、ウェブ経由で予約。

13日(木)
この日からは朝はいつも通りの時間に起きては、少しだけ仕事を。ラップトップを持っていていて良かった。。。

朝チェックアウトして、車でCanadian Museum of Civilizationへ。
宿泊してるホテルの前の道を車で10分強東へ行ったところにあった。川を挟んで国会議事堂が見えるところで、建物のデザインなどなかなかお洒落だった。

キッズ用の施設が充実していて、世界中の文化をコンパクトに濃縮した区画があって、長女はもちろん、大人もそれなりに楽しめた。

ランチを簡単に食べて、嫁さんたちは外の庭みたいなところへ行き、僕は民族博物館ならではの展示を一通り眺める。基本的にはカナダ人のルーツを紹介するような展示中心だった。

その後、僕も庭へ出て、少し遊んだり、写真を撮ったりして、また建物に入って、郵便関連の展示を見る。自作の切手を投稿するコーナーがあって、長女は1時間くらいかけて絵を描いて投稿。僕はその間、横で居眠り。

15時過ぎに同じホテルに戻ってきてチェックイン。

違う部屋に泊まることになった。早速メールをチェックしたけど、大使館からのメールはなし。。。この日は木曜日で、もしも来るべきメールが「明日のxx時に取りこい」というものだとすると、翌日金曜日にメールが来ても月曜日になるリスクがあり、週末もカナダで過ごすのだけは避けたかったので、大使館への連絡を試みた。

まず、タダでかけれる番号は自動音声案内で、人と話したかったらこの番号に話してね、というよくありがちなもの。

その案内された番号は、900の番号で、かけたらヤクザな料金を請求される番号で、ホテルからや、skype経由ではかけられなかった。。。

かなりブルーに。

夕食は、民族博物館の逆方向にある中華レストランBamboo Restaurantへ。
今回もテイクアウトにした。

長女は焼きそば系を食べたいといって、chow meinを頼んだら、もやしが麺がわりになっていたり、嫁さんとシェアしようと肉系の料理を買ってもライスがついてこなかったり、さらに肝心の箸もついてこなかったり、なかなかすばらしい中華レストランだった。もう二度と行くことはないだろう。。。

14日(金)
朝はまた仕事。

午前中、再び大使館への連絡を試みようといろいろ探していたら、900以外の有料回線があることがわかり、それはskypeでかけれたのでかけてみた。クレジットカード認証で1分1ドル強請求されていくというヤクザ電話。

うまいことオペレーターにつながった。が、聞いても、おそらくマニュアル通りの回答なのだろう「メールで連絡が来ることになってたら、それを待て。それは数日かもしれないし、最長3ヶ月のこともある」「3ヶ月たっても何もなかったらまた連絡してね。」と。。。

オペレーターは親切そうな感じの人だったけど、なかなか個別に対応してどう、という感じではなく電話を切る。。。

ということで、この週末のホテルを予約しようと探したら、結局同じリゾートホテルが一番良かったので、3日分おさえる。。。

とりあえず支出は極力おさえたかったし、この日の天気は曇だったので、チェックアウト時間の12時頃までホテルの部屋で過ごし、チェックアウトして近くのマクドへ。

地元の人たちと一緒にランチを楽しむ。。。

そのマクドには簡単なキッズ用滑り台があることはわかってたので、そこで長女を遊ばせ2時間くらい過ごす。ついでに買出しをしては同じホテルへチェックイン。

どうも今回はホテル側の厚意かたまたまその部屋しか空いてなかったのか、セミスイートを提供してくれた。2室あるセミスイートで、さすがに良い感じの部屋だった。うれしんだが、これ以上泊りたくないと思いながら、さっそくラップトップを開いてメールをチェック。

すると、大使館からメール!
3時以降取りにこい
と。

ということで、迷わず翌日以降の宿泊はexpedia経由でキャンセルして(この日の宿泊費はチャージされたけど残り二日分は取り返せた)、チェックアウト。

フロントの人もはじめ怪訝そうな感じだったけど、ビザのことを少し話したらAhaという感じでわかったもよう。

そして、大使館でビザを受け取り、アメリカ国境を目指す。オタワのハイウェーは一部混んではいたけど、2時間弱で国境。無事再入国した時点で7時頃で、WatertownにあるFriday’sでこれまたテイクアウト(結局、今回の旅行のディナーはすべてテイクアウトだった。。)を買って南下。

道はNY州がきれいなので、Syracuseで東に行ってAlbany経由でNJを目指した。
サービスエリアもあって良かった。眠くなったら停めて外を少し歩いたり、スタバのコーヒーを買っては耐えて、深夜1時には戻ってきた。

普通なら、これで風呂に入って即寝なのだけれども、実は翌日TOEICのテストを控えていた。オタワにい続けることになってもう受けることはないと思っていたので、慌てて会場への行き方、テストの内容を簡単にチェックする必要があって、結局寝たのは2時半頃だったのではないか。。。

かなりタフなオタワ5日間の旅だった。。。

2010年5月10日

主夫の日

今日は年に一度の主夫の日。

多くの家事をこなす。

嫁さんは、次女を僕に託し、長女と共にガレージセールへ出かけたり、ミツワへ買い物に出かけたり。。。

運良く、次女はすぐに眠ってくれたので、その間、いろいろ調べもの。

調べものといっても、長女の小学校のことだったり。。。ホントに主夫やな。。。

スコットランドでは5歳からプライマリー(小学校)が始まるらしく、今年8月中旬から入学となる。次のステップのセカンダリー(中学+高校)まではタダで教育を受けさせることができ、私立は考えなくて良いらしい(ありがたい)。

地域性が高いみたいで、住むところで行ける学校が決まってくるらしい。catchment areaなる単語を学習。

とにかく、良い学校と住むところを合わせて考える必要がある。

で、なんだかんだ言って、学校の評判みないなものは気になるわけで、調べてると、Jordanhillという超名門はおいといて、いくつか候補が絞られてきた。(ちなみに、そのJordanhillは、生まれた直後から小学校への登録をするらしく、すごいウェイティングリストがあるらしい・・・なので、完全に出遅れてる。。。)

今のところ、Newton MearnsとBearsdenというグラスゴー郊外の二地域が学校の良さ・住む場所がどれくらいアフォーダブルかという点で良さげ。あと2箇所くらい候補があるけど、今日はちょっと調べられなかった。

おそらくプライマリーは大差ないのだろうけど、セカンダリーは子供の人生を大きく左右しそうだから、あんまりいい加減な選択はできない。。。

ちなみに、Newton Mearnsなるところに住むとすると、毎日バスで1時間弱の通勤を強いられる。。。

バスだから、自動車通勤よりはむしろ時間を効率的に使おうと思えば使えるのだろうか。バス通勤なんてしたことないから、どんなものかよくわからない。バスでメールをさばいたり、論文読んだり。。。

とりあえず、UKに行ったらiPad買おうかな。。。UKでは明日からプレオーダーできるらしい。

2010年5月9日

総選挙、花屋

Britainの政治のことは全然知らなかったけど、行くことになったからには少し勉強しないといけない。総選挙のポイントは、Conservativesが躍進したけど、過半数はとれなかったから、Liberal Democratsと連立を目指さないといけないけど、政策面でズレがあって、連立政権を樹立できるのか、できてもうまくいくのか、というところなんだろう。

Liberal Democratsはマイノリティーだったからか、選挙制度の改革を訴えていて、この主張は理にかなってると思う。というのは、今回の総選挙では、得票率ではLabourと大して変わらないくらい支持を得てるのに、議席数という点で大差がうまれる仕組みになっている。アメリカみたいに二大政党にオプティマイズされた選挙制度みたいで、これまで第三、第四党の出る幕がないようなおかしな制度だったみたい。今回みたいにLiberal Democratsが支持を得たのなら、その辺の民意が反映されないのはおかしいから理にかなってると思う。

とにかく、ギリシャの次はBritain?といわれてるくらい、借金まみれなので、その辺が最優先課題なのは良いとして、個人的な問題は、公私両面でどんな痛みが待っているか、ということ。アメリカでも学校への予算が削られて教育の質低下が心配されたりしてる。ふと疑問に思ったのは日本ではそういう方向へすぐに行く様子がない、ということ。仕分けといっても、何か深刻さは感じないから(昨年の科学技術の話はおいといて)、何となく不思議。少しずつ痛みがくるのか、一気に来るかの違いなのか、それとも日本はまだまだ余裕なのか、その辺のことよくわからない。。。

ちなみに、今日のNYTでの総選挙関連の記事・社説は、こちらこちらこちら

ところで今日の夕方、長女と二人で花屋へ。さすがに賑わっていた。
今年は娘も明日の存在をしっかり認識していて、なぜ二人で花屋に行くかわかる?と行きに聞いたら、母の日だから、としっかり答えてくれた。

プレスクールや補習校で母の日のプレゼントを作ったりして、しっかり教育されてる。

ところでその途中、カーラジオのニュースに娘がしっかり反応していた。なんでベービーがガーベージトラックにいたの?と、、、そんなこと聞かれてもな。。。ぼちぼち情報制限をひかないといけないのかもしれない。。。

それにしても、ヒアリング力そのものは間違いなく親を上まってる。。。発音もネイティブだしな。。。

問題は、その良い面をさらに伸ばしつつ、日本語の遅れをどうカバーしていくか。これは、親が積極的に関わらない限り改善はされないのだろう。なので、最近は絵本を読むように頼まれた時、それが英語だったら、日本語の本にしようやと聞くようにしている。(頼まれること自体少ないのだけれども)

それはともかく、買った花は娘の希望でピンクのバラでした。

2010年5月8日

就活

ようやく正式に次の行き先が決まったので、この1年強(2009年2月~2010年4月)の就活の体験を。

その前にまず、僕の体験よりも絶対参考になる情報を:

まず本として2冊。

HHMIのバイブル本
就活に関しては第一章。

市販の本として
The Chicago Guide to Landing a Job in Academic Biology (amazon.com)
Kindle版
amazon.co.jp経由
この本では、ファカルティーの職探しがメインテーマだけど、前半は学生・ポスドクのポジションを考える上での指南もある。独立職探し、という点では、中盤あたりにあるインタビューの章、後半のネゴシエーションの章は非常に参考になって、何度も読み直した。他にもこの手の良い本があると思う。

他には、日本人の先輩方によるページがあって
長期滞米研究者ネットワークの職探しRyoheiさんのページ、あやしい神経科学者さんのページ(こちらこちら)が非常に勉強になりました。長期滞米研究者ネットワークのMisoさんの情報は非常に詳しくて、インタビュー、ネゴシエーションのイメージトレーニングに非常に役立ちました。

上の情報と、重複したり、冗長な部分たくさんあると思いますが、この手の日本語の情報はいくらあっても多すぎという気はしないので(あと自分自身の体験を記録しておきたいので)、私の個人的体験に基づいた情報・感想等を以下に。

<就活の流れ>
大まかな流れは、
1.公募探し
2.申請書書き&アプライ
3.インタビュー
4.オファー&ネゴシエーション&契約・辞退
というケースが大半だと思うので(いきなり4という場合もある)、以下、各ステップごとに。

1.公募探し
公募情報が掲載されるサイトを定期的にチェックしては、アプライすべき候補を探す。

僕の情報源は、Naturejobs, ScienceCareers, NeuroJobs, あとEUのFENSのサイトもチェックしたりした。日本の職はJREC-IN

Nature jobsでは、検索項目のtabにneuroscienceと入れて検索。
ScienceCareersでは、Neuroscienceというカテゴリーがあってそれをチェックして検索。

ポスドクポジションなども含め、できるだけモレがないようにスクリーニングした。これは毎日の日課に。。。

神経科学系なら、断然お薦めはNeuroJobs。
全く同じ公募が、NaturejobsやScienceCareersに掲載されるより少しだけ早く載ってたし、ほぼ同じコンテンツが掲載されていた。SfNの会員ならタダでアカウントを作れ、神経科学に特化してるし、検索する必要なし。

公募が出る時期は、国によってバラツキがあるけど、やはり秋に大量の公募が出る。日本は少し早くて夏ごろか。ただ、米国以外は不定期に公募が出てたように思う。大抵は翌年夏以降のスタート、という感じか。(アメリカの場合、その辺もっと期間を取れる)

日本版テニュアトラックについて。
例年夏ごろ、その年度に新設される大学が発表されている。その発表を確認した後は、定期的に大学のウェブをチェックした。他には、すでにテニュアトラックが導入されてる大学のウェブもたまに確認してたら、一部、二期的な公募を出す大学もあった。

統計
1年強の期間で、この1次スクリーニングにひっかかったのは、115件。

僕は国を問わずスクリーニングしたけど、日本のポストで1次スクリーニングにひっかかったのは14件。日本にはバイアスがかかっていたはずだからか、引っかかった数としては、米国を除いてトップクラス。ちなみに、米国は70件くらいあって、他を寄せ付けない。

他には、オーストリア、オランダ、カナダ、シンガポール、スイス、ドイツ、ベルギー、ポルトガル、UK、オーストラリア、フランスがひっかかった。

中国、インド、Dubaiでも神経科学系の公募が出てたけど、一次スクリーニングではひっかからなかった。。。が、あと数年もたてば、中国はアメリカに次ぐ主要候補国になる気がする。

ちなみに、1年かけて100件以上の公募を相手にするので、うまく情報を管理しないといけない。
僕の場合、Googleドキュメントのスプレッドシートで情報管理。嫁さんの人生にも関わるので、このスプレッドシートを嫁さんとシェアした。情報シェアはお薦めです。(夕食の会話のネタにもなるし。)

もしも今から就活やり直すなら・・・
公募情報をスプレッドシートなどで管理する場合、いつ締切か、という情報だけでなく、いつ公募が掲載されたか・スタートしたか、という情報も記録しておくと良かったかも?(超マイナー)

2.アプライ
募集要項を「しっかり」読んで、それにそって書類を用意したら、メール、ウェブ上、郵便のいずれかでアプライする。

申請書式は国や公募先によって微妙に違うけど、大まかな提出アイテムは
・カバーレター
・CV(+publication list)
・研究のまとめと将来プラン
・教育方針
・推薦書

カバーレター
どこのどのポジションにアプライしてるのか、自分は研究者としてどんな人物か、将来どんな研究をしたくて、なぜアプライしてるか、といったことを書くもよう。正直、僕は良いカバーレターを書けたとは思わない。。。

CV
僕の場合、学会発表(ファーストのものだけ)も入れた。たぶんカウントされないとは思うけど、量の多さ、というのはnudgeとして働くかもしれないと思った。ただ、in prepの論文は入れなかった。これはネガティブに働くリスクもあると聞いたことがある。論文は、絶対submitted以上を、という方針だった。(*assistant professorなりたての人のウェブを見てたら、in prepの論文を5つくらい載せてる人もいてた。米国地方大の話)。

研究のまとめと将来プラン
研究まとめ、将来プラン、別々に書く場合もあれば、まとめて3ページ以内など、この辺、アメリカ国内でも大学によってかなり違ってた。

1年間かけて、何バージョンも書き直した。正直、どう書くのが正解か最後までわからず。。。

参考になる情報があるとしたら、有名大学のラボのホームページ、特に独立したての人のウェブは、おそらくジョブアプリケーションに近い形でウェブをオープンしているだろう、という読みで参考にした。有名大学の優秀な人たちが如何にうまい文章を書いているか、というお手本を学ぶ上でも非常に勉強になった。

教育方針
アプライした先の1/5~1/4くらいで求められたか。
僕の場合、ガイドブックに載ってるのをほとんど真似た。。。学生のレポートのように。。。教育重視のところは、この辺もしっかり用意しないとダメなのだろう。ちなみに、僕は1ページのものを用意した。が、結局、教育方針を要求されたところからは一つもインタビューに呼ばれなかったから、僕の内容は推して知るべし。。。

推薦書
申請時に推薦書を要求するところもあれば、書類審査をパスした時点で問い合わせがあるケースもあった。その問い合わせは、僕を介する場合、介さない場合、両方あった。大抵は3人分。

僕の場合は、現ボス、元ボス、同じ建物の偉い先生、の3人にお願いした。最終的には、数十件も出してもらうことに。。。(ホントにお世話になりました。。。)

コメント
カバーレターだけマイナーチェンジして、ほぼ同じアイテムを立て続けに送ったケースも多々あったけど、できるだけカスタマイズするよう少しは努力した。

CVは情報がアップデートしない限り変える必要はないけど、見栄えは大事なので、他の人のCVを参考にしながらバージョンを数回変えた。

ちなみに、日本の公募では書式が指定してあるケースがほとんどで、公募先ごとに合わせる必要があった。さすがは事務処理大国。。。元の書式の用意は事務の人たちがやるのだろうから、そういう雑務も仕分け対象にすべき。。。

アプライ方法について、基本的にはメール、ウェブで申請できた。けど、一部の大学は文書を郵送する必要があった。日本の多くで郵送が要求された。。。もし国際公募してるなら、海外のスタンダードに合わせた方が良い。(その点、BSIはいろんな面で国際スタンダードに沿ってたように思う。さすが。)

統計
アプライした件数は68件。
うち日本は8件。他の国はオーストリア、カナダ、シンガポール、スイス、ベルギー、ポルトガル、UK、ドイツ、フランス、米国。数はやはり米国が圧倒的。

一次スクリーニング115件と申請数68件の違いは、あまりにも格上(MITとかロックフェラーとか)、公募内容のズレ、が主な理由で数が減った。70件弱は多い申請数だと思う。

もしやり直すなら・・・
デパートメントのウェブなどから、相手が欲してる人材を徹底的に分析して、できるだけカスタマイズしてアプライした方が良いのだろう。その分時間はかかるだろうけど、インタビューに呼ばれる率もアップするのではないかと思う。


3.インタビュー
アプライ後、最短で1週間(エディトリアルキック?)、大抵は2~3ヶ月でリジェクトの返事が来る。中には半年くらいたって返事がきたり、無視されたまま、いまだに届いたのかどうかすらわからないところもある。

インタビューの知らせは、電話ではなく、メールですべて来た(日本人としてはありがたい)。

僕が呼ばれたインタビューは4つで、すべて国が違ったからか4つとも形式も違った。その4つの国と簡単な形式を。あくまでサンプル数は各国n=1です。。。

日本
期間・・・半日
内容・・・20分のプレゼン+質疑応答

フランス
期間・・・2日
内容・・・20分のプレゼン+質疑応答、フォーマルインタビュー(面接官の質問に答えるいわゆる「面接」)

米国
期間・・・2日
内容・・・1時間のプレゼン+質疑応答、one-on-one meeting、ラボスペース確認、dinner

UK(スコットランド)
期間・・・2日
内容・・・20分のプレゼン+質疑応答、one-on-one meeting、dinner、研究所見学、フォーマルインタビュー

いわゆるチョークトークなるものは体験せずじまいだった。

もう少しだけ詳しく:

日本 
日本国内の他のところはどうかわからないけど、呼んで頂いたところでは、事務の方とスケジュール調整する際、ファカルティーの先生方と個別にお話しする時間を作ってもらえないかお願いした。が、適わなかった。。。大学施設の見学すらできなかったので、将来どんな感じでラボを持つのか、明確なイメージをもてないままインタビューが終わってしまった。。。

ちなみに、僕が呼ばれたところは一度にたくさんのポストが用意されてもよう。が、海外からだったから日程的なものも関係していたのか、僕単独のインタビューだった。

このインタビューの直後にアップしたエントリーはこちら

フランス 
呼ばれた研究所はフランス国内でも異質だと思うので、フランス全体がどうかはわからない。この研究所の場合、一時書類審査をパスしたら、10ページの申請書をインタビュー前に提出する必要があった。

また、新しい研究所だったので、僕のようなジュニアから、引退前のようなシニアな人まで20人くらいが一斉に呼ばれてトーク&フォーマルインタビューを2日間でこなした。オーディション、と呼ばれていた。まさにそんな感じだった。

実際の様子はこちら

米国 
ウワサ通りのインテンスなインタビュー。トークが大事なのはもちろんだけど、one-on-one meetingもかなり重要なのではないか、という気がした。ちなみに、交通費から宿泊費まであらゆる費用を負担してくれた。3人候補者が月一でインタビューをこなしたので、インタビュー期間は2ヶ月以上にも及んだ。

インタビューの詳細はこちら

UK 
イングランド出身のボスによると、インタビューの形式は大学によっていろいろらしい(電話会議的なものだけのものもあったとか)。

僕が呼ばれたところの形式はとても洗練されたインタビューだと思った。5人の候補者が同時に呼ばれ、平行してスケジュールをこなし、インタビュー2日目には決定が下され、その日のうちに連絡が来た。

インタビューの詳細はこちら

その他
他に推薦書の依頼があったところ(一次書類審査パス?)が一つカナダの大学であったけど、インタビューには呼んでもらえなかった(知り合いが呼ばれてた)。

コメント
トークに関しては、
The Presentation Secrets of Steve Jobs: How to Be Insanely Great in Front of Any Audience (amazon.com)
Kindle版
amazon.co.jpのリンク
という本が、僕にとってのバイブルになった。もちろん、スティーブ・ジョブのようなトークは目指せないけど、彼のトークのノウハウはおそらく普遍的なものだと思うし、多くの科学者はこの辺しっかり教育を受けていない。なので、ブレーンストーミングとしても良い本だし、実際この本に書いてあることをできるだけ実践して、それなりの手ごたえは感じたから、自信を持って薦められる一冊。ちなみに、本質的な部分は、上で紹介したHHMIの本にも簡潔にまとめてある。そこにしっかり実践すれば良いと言えばそう。

こちらのエントリーでも少し紹介済み。

one-on-one meetingは、かなりやっかい。会う人の研究を少し予習していくのはもちろんだけれども、もう少し広い文脈・ジョブインタビューという文脈でいろいろ会話をしないといけない。英語が得意でない(できない)僕としては相手によっては結構大変だったし、うまくいったとは言いがたい。

フォーマルインタビューは、フランスとスコットランドで経験したけど、ある程度重複する質問もあったので、しっかり準備して臨めば乗り切れる気もする。ただ、緊張はする。。。

dinnerが最も苦痛だった。どれくらい重要な時間帯かサーチコミッティーになってみないとわからないけど、研究以外の人間的な部分を丸裸にされるので、英語ができないとホントにしんどい。。。

あと、数少ないチャンスをものにしないといけないから、一回目のインタビューの経験をしっかりフィードバックして、同じ過ちは二度と犯さないようにしないといけない。ある意味、実験と同じ。

やり直すなら・・・
ラボをすぐスタートすることを前提に、聞くべき質問などを考えておくと良かったなぁ、と今さらながら思う。つまりは、具体的にどんな形でラボをスタートしたいのか、かなり細かいところまでイメージしておいた方が良かったということ。

というのは、ラボスペースの見学なんかもあるけど、ネゴシエーションのフェーズに入った時に、細かい部分を覚えていなくて、見たはずのものを問いなおしたり、イメージが薄れた状態でラボをイメージしないといけなかったりして後悔した。

つまりは、インタビューの次の日からラボをスタートするぞ、というホントに「レディー」の状態でインタビューに臨むべきだった。ラボをスタートするために何を知っておくべきか、細かいところまでしっかり考えてインタビューに臨んだ方が良かったかも。

おそらく、その辺は先輩でもある相手に伝わるだろうから、他の候補者との差につながっていく気もしないでもない。(あくまで私見なので鵜呑みはNG)

4.ネゴシエーション
時間のかかるアプリケーション、緊張のインタビューをうまく乗り切れると、良い知らせが来る(かも?)。が、その後のネゴシエーションなるものがこれまたやっかいな代物。。。ネゴシエーションの対象は、
・給料
・スタートアップ資金
・スペース
などなど(テニュアのための条件、引越し代や家購入のサポートなどなど)

詳しくは上で紹介した本二冊に詳しい。

給料
僕はあまりネゴろうとは思ってなかったので、提示額をそのまま受入れた。給料がわかれば、手取りも大体わかる。それに基づいて、ファイナンシャルプラン的な簡単なテーブルを作れば、そこでどの程度の人生を送っていけそうか大まかに予想できる。ポスドクよりは多い給料になるから、裕福とはいえなくても、そこそこの生活はできる額は大抵提示してくれる。

周りを見ていると、やはり米国の給料は良いな。。。

スタートアップ資金
米国の常識は他国では通用しない。つまり国によって全然違う。研究を重視しているなら、米国だと500Kドル前後が一つの閾値になる?(米国からオファーもらってないけど、周りを見ていてそんな印象)。

日本の多くのところは、額が公募要領に明示してあるなかなかすごい国。。。

EU圏は国や大学によって千差万別な雰囲気。UKは意外と少なくて、統計は知らないけど、僕の情報ルートから入手した数字は、日本のテニュアトラックより少ない。。。

スペース
これは既存のリソースからのオファーだろうから、どうしようもないケースもあるのだろう。僕の場合、最低限のスペースだけは確保する、ということだけを重要視した。

その他
スタート日はネゴシエーションの対象になるから、いつからスタートするか、いろんなファクターを考慮にいれてオプティマルな日を決めた方が良いのだろう。特に、テニュアトラックの場合、スタートを遅められるなら遅めた方が良いのかも。けど、その分、良い給料をもらえる時期が遅れる、ということにもなる。あと、僕の場合、子供の学校開始時期なども考慮にいれた。

ここから、僕の体験の詳細。

結局、僕がオファーをもらったのは、日本とUKと、なぜかイタリア。

まず時期について。
日本からオファーをもらった時期は、米国の大学の返事待ち時期と重なった。UKからオファーをもらった時期もこれまた米国の結果待ち時期、さらにはイタリアからのオファーをもらった時期と重複があり、正直苦悩した。。。ちなみに日本からオファーを頂いていた時期は、UKとイタリアのそれとは重複なし。(こういうのは、うれしい悲鳴と言うべきなのだろうけど、それぞれに対してしっかり対応したり、そもそもどう対応すべきか考えたりするのにかなりの時間を割くことになって、正直研究どころではなかった。。。)

ネゴシエーションは千差万別だと思うけど、各オファーについて僕の経過を簡単に。

日本
面接から1ヶ月後くらいにメールでインフォーマルな連絡がきた(1月中旬)。
条件面でわからないところだらけだったので、問い合わせのメールを出した。が、一部のしかも重要な質問には明確な返答はなく、単年度制度のため予算を使い切る必要があるので早く結論を、というプレッシャーをかけられた。

埒が明かないので偉い先生に連絡した。できれば、最終的な条件を聞いた上で、米国の返事を待って返事をしたかったけど(そうなると返事は次年度に確実に持ち越しだった)、年度をこえて結論出すのは非現実的だったし、長引かせるのは相手にも迷惑がかかるだろうと思って、辞退を決断。(その時、UKにはインタビューに呼ばれるかどうかすらわかってなかったので、振り出しに戻る可能性大のかなりリスキーな意思決定だった。。。ホントに単年度制度は何とかして欲しい。。。)

この辞退に関連するエントリーがこちら

UK
面接二日目(3/16)の夜にメールでオファーの知らせ(気付いたのは翌日)。ポジションと給料が明示されてた。

数日後(3/23)、スカイプ・カンファレンスをひらいてもらって、条件面などでわからない点を質問。数日後(3/25)、オファーレターがメールに添付されてきた。ただ、そのレターは事務的なオファーという感じで、研究関連(スタートアップ資金、スペースなど)の記述は一切なかった。

その後、スカイプ・カンファレンスのフォローアップという感じで、メールを何度かやり取りしながら、細かい条件面について確認していった。この時点で、気になったのはスタートアップ資金の少なさ。

4月中旬 先方が学会とバケーションの時期に突入し、ネゴシエーションは一時中断。

4月下旬から再開。そして、その再開直前にイタリアから突然のオファーを頂き、結果的にはそれをテコに、オファーの内容を良くしてもらえた(ラッキー!)

5月4日にアクセプトの連絡を入れる。

米国
面接から2ヶ月以上たっても連絡がなかったので(他の候補者の面接スケジュールはあらかじめ知らされていて、2ヶ月強で終わると聞いていた)、メールで問い合わせ。すると、僕はトップ候補者でないことが判明。これで終わりか、と思ったら、「二人を採用する可能性もある」という生殺しの返事をもらう。が、その少し後のメールのニュアンスはそっけなかったので、待つだけ無駄と思って、UKを取った。なので、ネゴシエーション以前の問題。

イタリア
実は、イタリアにはインタビューに呼ばれてもなければ、アプライすらしていない。。。けど、フランスでのオーディションの審査員の一人から突然、ポジションがあるけど興味ないか?というオファーを頂く。その方は、イタリアのスーパースターで、提示条件も悪くなかった。

ただ、嫁さんが子供の教育を最大の理由にイタリアに住むことに難色を示したし、100%満足行くポジションではなかったので、あまり深入りはせず辞退した。でも、スパースターの前でトークしたのがきっかけでポジションのオファーまでもらえるなんて、一生の自慢話になります。

とにかく、人生、何があるかわからんなぁ、とホントに思った。

コメント
ネゴシエーションで、相手がオファーを明示しない場合、どう対応すべきか、腹のさぐりあいみたいな感覚を覚えた。この辺、英語力がないときついなぁと思った。僕の最優先項目は、最低限のスタートアップ資金、だったので、それにはかなりこだわって、我慢強くネゴった。realistic, reasonable, patientである必要があるので、この辺、結構大変。。。

ネゴシーションではメールでやり取りするから、英語力がそれなりに問われる。細かい文法・フレーズに関しては、google検索がメチャクチャ役に立った。

あと、重複するオファーなり、結果待ちとオファーとの選択が非常に悩ましかった。僕の場合、2月上旬から、ホントに悩む日々が続いた。

ボスに相談することもあれば、一般企業に就職する人たち向けのQ&Aフォーラムみたいなウェブサイトを見たり、できるだけ情報を集めて、できるだけ良い意思決定ができるよう心がけた。僕の場合、家族(嫁さん)からのインプットも重要だった。PIの職となると、流動性はこれまでより低くなるから、子供の教育、居住環境など、研究以外のファクターも重要な判断材料になった。

もしやり直すなら・・・
正直やり直したくない。。。

結果的に、相手の期待を裏切る(?)ことになったりするから、精神的に疲れた。そういう世の中なんだろうけど、僕はそういうのは向いてないと思った。

ただ、僕がおかしたミスを挙げるとするなら、オファーをもらったら、他のところにも一応連絡するわけだけれども、UKからのオファーをもらった時にその大学名まで米国側に伝えてしまったことか。

単に「他のところからオファーもらってこれからネゴシエーションスタートします。良かったら、いつ頃結果を教えてもらえるか教えて」的に伝えておけば、相手のuncertaintyを上げれて、もしかしたら、意思決定スピードを速めてくれたかもしれなかった。この辺、駆け引きみたいなものもあるので、一つ一つの連絡が非常に重要になる。

雑感
最後に、就活全体に関して雑感を雑に。

僕が就活を開始したのは1年以上前で、CVという点では、正直どんなに過大評価してもPIのレベルではなかった。今の僕のCVでも、人によっては就活を躊躇する人もいると思う。けど、僕はできるだけ早く独立して、自分の研究をしたいと単純に思っていたし、ちょうどボスの移籍話が持ち上がって、ラボ閉鎖の時限爆弾がスタートしたので、良い意味で背中を押してくれた。

当初、大不況の煽りで、氷河期と聞いていた。
なので、今年は一つでもインタビューに呼ばれれば良いか、その経験をいかして2年目で本格勝負、と当初は思っていた。けど、周りで就活をはじめた人はことごとくオファーをゲットしてたので、いうほど厳しくはないもよう。

あと、今思うに、就活は一度やり始めたら絶対一年で決めた方が良い。就活にエネルギーを注ぐ分、肝心の研究の生産性は著しく低下するから、それを2年も続けよう、と当初から思うのはbad ideaだと思う。

就活の戦略に関して。
もし強いCVを持ってる人は、数を絞って、ピンポイントでアプライしていった方が効率的だと思う。そういうエリートコースの人なら10個くらいに絞って探した方が良い。研究の効率もキープできそう。けど、そうでない場合、あまり後先考えずにできるだけたくさんアプライして、オファーもらってから考える、くらいで良いと思う(余程行ける・行きたい国に制限がある場合は別)。

ある意味、就活は実験みたいなものだから、当初の仮説なんて簡単に覆される。。。結果的には、意外なところで評価してくれるところが見つかったり、良い「出会い」が待っていたりもする。ウェブなどで調べられる情報といってもやはり限りがあるから、バイアスなし、という戦略はニッチを探し当てるという意味では悪くないと思う。

それから、ジョブを探す時、ポスドクでもそうだと思うけど、自分の強み・ウリは何かをしっかり自覚しておかないとダメだと痛感した。結局、他のコンペティターと勝負する時、相手に何をオファーできるか、それをできるだけクリアに売り込まないといけない。CVがどうレベルだったら、あとは「営業」が勝負なんだと思うから。

例えば、日本人的な謙虚さで、Aさんはすごいです、とか相手を立ててるようだと絶対ジョブはゲットできない。もちろん、相手の足を引っ張る・悪口を言うようなことは人間的に問題だからどこの国だろうと問題外だけど、近い将来一緒に働く人間として、とにかく自分を売り込まないといけない。

だから相手がどんな人材を欲しているか分析して、自分のバックグランドとのリンクを見つける必要がある。ここでも、如何にニッチを探し当てるか、というのがこの厳しい生存競争の中では重要なんだと思う。インタビューを経験していきながら、そう強く思うようになっていった。

ところで、今回の就活を通して日本のテニュアトラック制度がどんなものか少しだけ理解が深まったけど、海外で独立することが気にならない人はアメリカか他の国の有名大学・研究所で勝負を挑むべきだと思う。もちろん、日本は研究環境という点で、日本国内で言われているほど悪い国だとは思わないけど、他に良い国、良い研究環境があるのは確かだから、そういう良い環境を追い求めるのは研究者としては自然なことだと思う。日本のため!、なんてちっぽけなこと言ってないで、日本人も含めた人類のために自分の好奇心・情熱を燃やす、みたいな大義名分を打ち立てれば、国境・国籍はあまり関係ない気がする。

そんな偉そうなこともは言ってはみたけど、この就活で、研究だけからは学べないいろんなことを学んで体験できたのは確かです。

2010年5月6日

UKビザ手強し

2日前アクセプトの連絡をして、昨日、サインした契約書と他の必要書類を郵送。さらに昨日、今日といろいろ問い合わせをする。

事務的な作業として、まずUKビザを取らないといけない。Tier 2 Generalがビザの種類。ちょっと調べたら、このビザ取得がメチャ面倒ということが判明。。。(いきなり出鼻をくじかれた。。。)

先日、H1Bの処理を終えたばかりなのに、今度はUKビザの書類準備。アメリカほど大変じゃないだろうと思ってたら、ある意味アメリカより面倒で、英語ができることを示せないといけないらしい。。。まさかアメリカに来てTOEICを受けることになろうとは。。。(日本にいてたら、他にもいろいろ選択肢があるようです)

ちなみに、最低限必要なレベルは、英検3級レベルらしいので、おそらくOKだと信じたい(というか英検受けたことないからよくわからん)。

英語力が足りなくてビザ申請をリジェクトされたら、かなりカッコ悪い。。。

さらに、6月に一回グラスゴーへ行って住居などを決めて、7月に日本に一時帰国したいと思ってるので、UKビザの前にUSビザまで更新しないといけなかったりもする。。。研究以外にやること山積。ホントに8月に間に合うんやろか。。。

あと、できるだけセットアップを迅速にできるよう、いろいろ細かい質問メールを出した。お金は契約後直ちに使って良いことになっているので、お金の使い方を教えてもらっている。ここでpaperworkが必要なもよう(少なくとも一つのソースからのお金は簡単なプロポーザルを出さないといけない)。

ちなみに、実験セットは、ラトガーズやNYUでのそれと基本的に同じ+アルファの予定。TDT、Neuralynx、Plexonが主な候補になると思うけど、いきなり洗練されたものは買わない予定。理想は、スタートするまでに最低限必要なものが届いてる状態にして、すぐにセットアップに取り掛かって、秋に予備データを取れる状態にして解析環境も整えられると良いのだが。。。(超楽観的)

とにかく、マルチタスクの達人にならないといけない。

他には、PhDの学生さんを雇えるお金もつけてもらっているけど、学生さんを迎え入れるのはラボがfunctionalになってからだろうなぁ。ストラスクライド大のPhDコースは、日本の博士課程と同じく基本3年だけなので、しっかり責任を持てる状態にならないと、とても雇えない。。。10月が新学期らしいので、2011年の秋から学生さんと一緒にラボを走らせる状態になれば良いか。

なので、当面はすべて一人で何でもやる必要あり。ということは、人海戦術じゃなく、高効率なプロジェクトに焦点を絞らないといけないわけか。。。

ラボスタートまで、残り90日弱。(ビザが間に合えば・・・)

2010年5月4日

就活終了!!

苦節1年強。。。
ついに次の行き先が決まりました!

この間、いろいろ経験しました。。。

場所は、すでにオファーをもらっていたUK、グラスゴーのUnivesity of Strathclyde(ストラスクライド大)。今年1月から先週末まで、いろいろあって悩みましたが、今は前だけ見れるようになって、ホントすっきりしてます。

ちなみにポジションは、Lecturerというポジションで、アメリカで強引に例えるならassistant professorに近いか。日本なら助教?准教授?そのまま講師?

Lecturerというと、lectureをする人?というイメージだけど、UKのアカデミアの階層性は、学生<ポスドク<Lecturer<Senior Lecturer<=Reader<Professorとなってるようで、僕のポジションは教育のdutyはほとんどなしなので、必ずしもlectureとは結びつかない。

3年間のprobationary periodという「お試し期間」をクリアすれば、正式テニュアで、話によれば、アメリカのテニュアトラックとは違って、よほど期待はずれでない限り大丈夫だそうで、「これはテニュア職だし」と、ある意味プレッシャーにも似た説明を受けている。ということで、過度なプレッシャーにはさらされず、腰をすえて研究ができそう。

所属はStrathclyde Institute of Pharmacy and Biomedical Science、略してSIPBS。薬理系ではUKトップ2のランキングとのこと。

ストラスクライド大全体として研究を強くするというstrategic planがあるそうで、大学のfounderであるJohn Andersonさんの名を付けたJohn Anderson Research Leadership Schemeの一貫として採用されます。なので、前述のように、研究メインで、教育のdutyはほとんどないLecturer。スタートアップ資金も、ロンドンにいてるボス曰く、「UKにしてはかなり良いし、俺のラトガースでのスタートアップより多い(彼の表現を意訳)」額を勝ち取ることができました(と言ってもUSのお金のある大学よりはかなり少なく、日本のテニュアトラックよりは多いかな?という感じ)。なので、僕の業績等を加味すれば(謙遜抜きで)、かなり良いオファーなのではないかと思っとります。

肝心の神経科学については、大学内で今分散気味な研究をできるだけ横断的にしていこうという、これまた大学レベルのstrategic planがあって、副学長に神経科学者を招き入れてプランを推進中らしく、僕のポジションにもそれなりの期待がかけられているもよう。

そのプランの一貫として、SIPBSを拡大すべく新しいビルが建設されて(5月からavailableと聞いているのでもうできてるはず)、僕のオフィスもその新しいビルとのこと。

キャンパスもグラスゴーの中心から徒歩圏内にあるので、なかなか便利なところ。他の地政学的な点は、地下鉄でグラスゴー大に行け、東に電車で一時間もいけばエディンバラ大があり、ロンドンも1時間のフライト圏内といえば間違いではない(アイスランドの火山が噴火しなければ。。。)。

ちなみにポジションのスタートは、前倒しして8月。(緒事情を加味して8月がオプティマルと判断)
ということで、8月からラボを持って自分の研究をしていくことになります。

UKのことは、まだいろいろ勉強中ですが、政府系のグラントはもちろん、Wellcome Trustに代表されるチャリティー系、あとEU圏のグラントもあったりと、お金を確保するという点では選択肢は多そう。ただその分、USほどではないのかもしれないけれど、強豪がひしめいているので、何とかニッチを探し当てて生き残っていきます!です。

就活のまとめは、改めてエントリーを立てます。

2010年5月3日

天の声、解散確定

別のエントリーで、「他力」に期待すると書いたら、その直後、ホントに他力本願的な意外な方向へ。期待してた方向からではなく、90度違う方向から「天の声」がホントに降ってきた。。。

いろいろ悩みましたが、数日中にようやく次の行き先が本決まりしそうです。
詳細は後日に。

先々週と先週は、前のエントリーにあるようにバケーション。
昨年末のリベンジを果たすことができた。いろいろトラブったけど。

先週末金曜日はラボメンバーのステファンの最終日で、なんだか切なくなった。。。彼にはホントにいろいろお世話になった。ちなみに、アルフォンソが先週ジョブインタビューツアーから復帰して、すでに一つオファーをゲットしたもよう。さすが。ということで、ハリスラボ1.0の解散確定。めでたし、めでたし。

この週末はえらく暑かった。

昨日はタイムズスクエアで本気のテロ未遂があったそうで。。。
爆弾テロなんて防ぎようがないよな。起こるとわかってるイラクやアフガニスタンでも頻繁に起こってるわけだから、すでにアメリカにいてるテロリストがその気になれば、どこで・いつ起こっても不思議じゃない。。。怖すぎる。。。

最近、一時期に比べ、人が集まるようなところでのセキュリティーチェックが甘くなってきたなぁと感じてたので(空港のセキュリティーチェックも何も変わってない・・・)、これでまたセキュリティーチェックが再強化され、ストレスフルな思いをする機会が増えるのかと思うとウンザリする。

オバマさんは次から次へと問題が起こってチャ大変だろうけど、国内のテロ対策は起こってから本気で取り組むんだろうか。。。

クルーズ

もう一週間前ですが、4月22~26日の旅程でバケーションへ行ってきました。
胃腸系がやられたり、大雨にたたられたり、帰りの飛行機のコネクションをミスったり、ストローラーを空港でピックアップできなかったりしましたが、全体的には良いバケーションでした(ホントか?)

バケーションは、ディズニークルーズ3日間+ディズニーワールド1日の旅。なぜ今の時期だったかというと、昨年末のリベンジを年内にどうしてもはたしたかったから。その昨年末、バケーション直前に長女が風邪をひき、さらに嫁さんが腰を悪くして、当日キャンセルするという、なかなか悲惨な結末に終わっていた。。。

その年末のバケーションは当初クルーズ4日間で、当日キャンセル+ノー保険だったので、すべての金額(数十万円相当)をすったと思ったけど、後日嫁さんが電話で交渉した結果、全額ではないけど、基本料金を将来のクレジットとして返してくれていた。(ありがとう、嫁!&ディズニー!)

そのクレジットの期限は1年間で、年内にアメリカを離れる可能性が高まってきたので、4月末の少し料金が安い時を狙って2月頃だったか再予約をしてた。

本来なら、この時期には次の就職先を決めていけるだろうという狙いだったのだけれども、人生そう甘くはなかった。。。(結構佳境だったりしたので、旅行中もPCを持っていって、重要メールに対応する必要があった。。。)

以下、日々の記録。

4月22日(木)
朝4時起き。ラガーディア6時半発の飛行機でオーランドへ。

ちなみに、ラガーディア空港までは車で行って、Dollarsに車を預けて行った。ウェブ経由で予約できて、正規料金より少し割引で、空港までの送迎もあってgood。料金は1泊15ドル弱。高いか安いかは、空港までのアクセス手段の便や、どんな家族構成かによるか。

オーランド空港には10時前に着いて、そこから港へ移動。
空港の1階にディズニーのカウンターがあって、あらかじめ予約していたバスに乗り込むためのチケットをもらう。米国市民なら、ここでチェックインもできるもよう。バスはほぼ満員だった。

バスは大型バスで、窓が船窓チックに丸く塗られていて、おしゃれなデザイン。トイレ付き。
空港から港までは1時間弱。途中車内モニターにガイドビデオが流れ、クルーズへの雰囲気を盛り上げてくれる。そして、その映像が終わったら、遠目にクルーズ船が見え出す、という非常に計算されたバス輸送。(さすが。。。)

港にはディズニー所有のビルがあって、1階で簡単なセキュリティーチェックがあって、2階でチェックイン。パスポートなどのチェックを受け、乗船順を示したグループ番号の札、そしてルームキー兼IDカードをもらう。

2階ロビーには、さっそくミッキーと、名前は忘れたけどディズニーのキャラクターがいてて、写真を撮れるようになってた。乗船開始は12時過ぎで、4時までに乗船すれば良いのだけれども、11時ごろの時点で大勢の人たちがロビーで待機してた。

我々家族は1時頃に乗船。船に入る時、わざわざLast Nameを呼んで、「乗船おめでとう!」とスタッフの人たちが拍手で迎えてくれた。。。ちと小っ恥ずかったけど、少しセレブな気分。。。

まだ部屋は準備中で、みんなランチやプールなどでエンジョイしろ、ということで、手荷物は持ったまま9階のレストランへ。(ちなみに、大きなバッグは、タグをつけておけば、飛行機のチェックインから部屋に入るまで運ぶ必要なし)

去年のswine fluの煽りなのか、クルーズ中、レストランへ入るたびにウェットティッシュを配布してくれて、手拭きを徹底していた。アメリカだと、食事時、おしぼりがないから、日本人としては非常にありがたかったりもした。

食事後、長女が泳ぎたいということで、ミッキー型のキッズプールで遊ぶ。気候も適度の暑さだった。

3時前だったか、部屋へ。
部屋は思ってたより広く、お金をケチって窓なしの部屋を予約してたはずなのに、窓付きの部屋だった(ラッキー!)

長女がまだ泳ぎたいというので、再びプールへ。基本的に僕が長女を監視し、嫁さんはさっそくアイスコーナーやらジュースコーナーやらを物色してた。。。

そして出港直前の4時前に避難訓練があるということでプールやレストラン系はすべてクローズ。部屋に戻って、救命胴衣を着て(赤ちゃん用救命胴衣まであった。。。)、指定されたところへみんな集合。集合場所の頭上には、脱出ボート?が。もちろん、ボートに乗る練習はしないけど、とりあえず、自分はどのグループでどこに行くべきか確認。タイタニックみたい。

4時過ぎに出港。

毎晩、ショーがあるのだけれども(実はこれが最大の楽しみの一つ)、この日はゴールデン・ミッキーだったか、アカデミー賞をモチーフにしたミュージカルショーだった。1時間弱の内容だけど、すばらしく手の込んだ、感動ありのショーだった。泣きそうになった。。。

ショーの後、8時過ぎからディナータイム。
料金にはもちろんディナーも含まれてるから、しっかりコースでいただく。
が、長女はさすがにバッテリー切れで、途中で寝てしまった。。。

その後は、夜の12時までいろんなところで大小いろんなイベントが予定されていた。
驚いたのは、ちょうど上映が始まったばかりのOceansが上映されてたこと(この日は観れなかったけど)翌日はAliceの3D版が上映されたりしたから、この辺は惜しみなく出してくるところは、さすがディズニーやなぁ、と驚愕。

が、キッズ連れの我々は10時には就寝。(朝も早かったし)

4月23日(金)
この日はバハマ

まず朝、船内で長女が好きなプリンセスたちと写真を撮れる企画があるということで行ってみる。そして朝食。4つくらいの選択肢の中から一番良いレストランへ行ってしっかりした朝食をいただく(貧乏根性丸出し)

バハマでは、アトランティスという超豪華リゾートへのツアーをエクスカージョンとしてあらかじめ予約していた。それはゆっくり目で11時集合だった。

ということで、朝食後から11時まで時間があったので、キッズを預けられる施設に長女を預けてみた。その施設もなかなかの充実ぶりだった。

その間、我々親と次女は部屋へ戻り、僕はメールをチェックするため、PCをネットにつなげた。一つ重要なメールが届いていた。

11時前に長女をピックアップして、ツアーの集合場所へ。

船を降りて、小型のバスに乗ってリゾートを目指した。
まず、バハマの港周辺のダウンタウン(と言ってもその気になれば歩けそうな規模)を案内してくれた後、橋を渡ってリゾートへ。

よく広告の写真を見た覚えがあったけど、なかなかすごいリゾートだった。バハマはダウンタウンを少し離れると、ニューアークよりも危険な香りが漂う町並みになったのだけれども、そのリゾートは別世界だった。。。このギャップは恐ろしい。。。

それはともかく、そのリゾートにはビーチはもちろん、ホテルそのものが水族館一体型になってて、ガイドの人が一通り説明しながら案内してくれた。

メインのホテルは二つの大きなビルが空中でつながっているのだけれども、そのつながってる部分は通路ではなく、スイートらしい。

ガイドさんによると、故MJさんが2ヶ月間借り切ったり(記憶が正しければリゾート全部!)、タイガーウッズなど、スーパーな人たちが泊ったことがあるそうだ。。。一泊のお値段の桁が通常ホテルより数桁違ってた。。。

ホテル内ツアーの後は自由時間。
が、ガイドさんが一通り案内してくれて、あまりやることがなくなって、めぼしいところで写真を撮ったりして、帰りのバスへ。帰りは4時ごろまで定期的にバスが出てて、その中のどれかに乗って帰ればよかった。2時台のバスに乗って港へ戻る。

港のお土産コーナーにはあまりこれというものはなさそうだったので、結局バハマでは一銭も使わず。

船に乗って、少し遅めのランチ。
ランチ後、ちょうどOceansが始まる時間だったので観てみた。BBCのPlanet Earthの海関連の映像をディズニーなりに再編集したような映画。

Oceansの途中、長女がまたプールへ行きたいと言い出したので、映画を途中で諦めプールへ。

夕方前にバハマを後にし、この日の夜のショーはトイ・ストーリー
席は早いもの勝ちなので、早めに行ったら2列目で観れた。
ショーそのものは、ディズニー系ミュージカルそのままで、これまたすばらしく良くできてた。
感動。。。

ディナーはまたコース。

ディナー後、翌日はいよいよディズニーが所有する島、castaway keyということで、それを盛り上げるための海賊系イベントが9階のデッキで開催。キャラクターがステージに出てきてはみんなで踊ったりして、最後はミッキーが登場して、花火。

なかなかの盛り上がりだった。(長女はまたもや途中で撃沈してたが。。。)

4月24日(土)
この日は、Castaway key。

朝そのCastaway keyへ到着。
まず、前日同様、一番豪華なレストランで朝食。そしたら、ウェイトレスに日本人の方がいてた。なかなかハードワークだそうだけれども、なんともステキな職業だなぁと思った。ちなみに、クルーズには日本人が4組くらい乗船していたらしく、その朝食中たまたまマンハッタンから来られたというアベックの人と席が近くになった。

朝食後、早速下船。
その島は、ディズニー所有のリゾートの一つ、と思ったら良いのだろう。小さな無人島で、ディズニークルーズに乗らないと行けないリゾートアイランドになってた。エクスカージョンなどに参加しない限り、ビーチで泳ぐのはもちろん、食事までタダ。このエンターテーメントのスケールのでかさはホントにすごい。しかも、クルーズ船の停泊ポイントのすぐ近くに、等身大?の海賊船まであったし。。。すご過ぎ。。。

ビーチも、シュノーケラー用、ファミリー用、ティーンズ用、そしてアダルト用という区分けがされてた(「アダルト用」と言っても、男性が喜ぶようなものがあるわけではなく、大人だけのグループ向け、という意味なので、念のため。。。)。もちろん我々はファミリービーチを拠点とする。が、海水はかなり冷たかった。。。外は真夏だったけど、水はまだ春で、あまり長時間つかれるような感じではなかったのはちと残念。。。

ランチはBBQで、リブなどをいただく。(が、ここで調子に乗りすぎた。後述)

島にはいくつか見所があったのだけれども、基本的には長女のご意向に沿って、ビーチでほとんどの時間を過ごす。。。

4時前にみんな撤収し始めてたので、我々も撤収。
港の近くに郵便局があったので、絵葉書を出す。

と、ここまではすばらしいセレブチックなクルーズ旅行だったのだけれども、この数日間、そしてこの日のランチでの暴飲・暴食が祟って、胃腸系が機能不全に陥った。。。ちょうど、PCに負荷がかかりすぎて、フリーズしたような感じ。船に戻った直後から体調が悪くなっていった。

が、ショーだけは観たかったので、Dreamsという最終日のショーを見た。ピーターパンと夢を持つ少女が主役のストーリーで、途中、バブルやら雪まで降ってきて、泣いた。。。2回も。。。

と、何とかショーは満喫できただけれども、8時過ぎからのディナーはとても行ける状態ではなかったので、僕だけ自室静養。が、嫁さんたちだけでディナーへ行ったら、長女がバッテリー切れでまた寝そうになったらしく、しばらくしたらみんな戻ってきた。ルームサービスを頼んできたらしかった。

ちなみに、もし体調が万全なら、最終日のディナーということで、みんなそれなりの格好をして(僕は一応ジャケットを持ってきてた)、良い食事を楽しみ、3日間お世話になったウェイター・ウェイトレスさんへチップを手渡し、さらにディナーへ行ってる間にいつもベッドメーキングしてくれる人にもチップを渡すことになってた。

が、チップはすべて嫁さんに託し、最後のベッドメーキングは遠慮してもらって、チップだけ受け取ってもらう。。。(カッコ悪すぎ。。。)ちなみに、チップの額があらかじめsuggestionというものがあって、合計したらなかなかの額になる。まぁ、すばらしいサービスだったから、そういうものなのだろう。

4月25日(日)
この日はディズニーワールドへ。

早朝に元の港へ到着。
が、体調は依然優れず、朝食もパスして、嫁さんたちだけ朝食のレストランへ。

実は、クルーズついでにディズニーワールドにも一日行くことにしていたので、嫁さんたちが戻ってきたら荷物をまとめて、体調がすぐれない状態で下船。アメリカへの入国審査は、空港のそれに比べたらいたって簡単で、オフィサーの人の愛想良かった。

9時前に下船した時点で、大半の人たちはすでに下船してたようで、港からディズニーワールド行きのバスは我々も含め2家族しか乗ってなかった。。。かなりビップな感じ。

1時間強で予約してたホテル、All Star Music Resortに到着し、チェックイン。
部屋に入れたのは良いのだけれども、フロントのある建物から部屋が割り振られた建物までの距離がかなりあった。。。

体調はやや持ち直し気味で、荷物を部屋に置いてマジックキングダムへ。日曜日ということで、なかなかの人手だった。ダンボの乗り物に30分も並ぶなんてありえん、とか思いながらも、ショーやパレード、あとバズライトイヤーのシューティングにはかなり本気で楽しむ。全体的に長女も嫁さんもエンジョイしたもよう。9ヶ月の次女はおそらく記憶に残っていないんだろうなぁ。。。

夕方、とんでもない嵐がやってきて、瞬く間に洪水状態になった。夕立かと思ったら、すぐにやむことはなく、小ぶりの状態がずっと続き、この日の夜のイベントはすべて中止のアナウンスが。。。あいたたた。。。

8時過ぎに帰ろうとホテル行きのバス乗場に行ったらすごい列だった。。。しかも、他のAll Star系のホテル行きバスは頻繁に来て、列はすぐにさばけていったのに、Musicだけはなかなかこなかった。みんなイラついてた。。。

バスに乗ってからも、敷地が広大だからそれなりに時間がかかって、ようやく到着。
夕食はまだだったので、ホテルのフードコートでゲットすることに。

が、さすがに病みあがりにアメリカンフードは、泣きっ面に蜂というかなんというか、とにかく見るだけで吐き気を催しそうだったので、サラダとフルーツを買う。

娘たちは撃沈状態だったので、部屋へ持って帰る。
が、これまた部屋が遠く、しかも屋外の道をあるかないといけないから、まで降り続いていた雨でそれなりに濡れる。。。もうAll Star Music Resortを利用することはないだろう。。。あれなら、リゾート外のそれなりのホテルに安く泊まるか、奮発してリゾート内の良いホテルに泊まった方が絶対良い。高校生がたくさんいてたので、そいういう若者たちには良いのかも。

それはともかく、雨に濡れたのですぐ風呂に入って、あったまった後に食事。
胃腸は少し回復していた。

4月26日(月)
この日に再びNJへ。

午前中、キャラクターダイニングの朝食へ行く予定だったのだけれども、空港までの送迎バスの時間がかなり余裕を持ったスケジュールに設定されて、ダイニングの場所までちょっと距離があったので、キャラクターダイニングは断念。

ホテル内のプールで長女が泳ぎたいというので、ホテル内でゆっくりすごす。
が、そのプール、5歳の子供には非常に中途半端で、深過ぎるプールか、浅すぎるプールの両極端しかなかった。

大きなプールには、深さに傾斜が少しもうけられてたけど、3~5歳のキッズが楽しめるようにはなってなかった。プールも含め、全体的に設計ミスなホテルだった。(なので、個人的な評価は☆一つ。値段が高いだけ。)

帰りの飛行機はアトランタ経由でラガーディアへ。
が、行きの飛行機の離陸が少し遅れ、もともとトランジットの間隔が短かった上に、アトランタに着陸してからゲートに着くまでさらに少し待たされ、飛行機からゲートへ出た時点で残り20分ほど。が、アトランタ空港は馬鹿でかかった。。。

結局、離陸予定時間ギリギリにゲートについたけど、すでに手遅れ。。。長女を抱えて、全速力で走ったり、エスカレーターを駆け上がったりしたのに。。。

ということで、2本くらい後のチケットに変えてもらって、しばらくアトランタ空港で時間を過ごすハメに。。。

8時半過ぎの飛行機でラガーディアには11時ごろ到着。
預けていた荷物たちは予定通り飛行機に乗れたようで、バゲージクレームで待っていた。(他にもたくさん並んでたから、ミスった人が結構いてたもよう。。。)

が、もう一つ。オーランドの出発ゲートで預けたストローラーが届いてなくて、係りの人に聞いたりしたけど、結局、ストローラーだけは後日配送してくれることに。

空港の出口を出たらdollarsの送迎バスがちょうど停まっていたので、それに乗って営業所まで送ってもらって、車を運転して無事帰宅。。。日付が変わって12時半過ぎに帰宅。なかなかインテンスな旅行だった。

ちなみに、ストローラーは翌日デルタがうちまで配達してくれた。この辺のサービスはしっかりしてるなぁ、と思った。空港の係りの人も対応には慣れている感じだったし。(それだけよくあることで、対応マニュアル的なものが確立されてるのかもしれん)

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ということで、ディズニークルーズなるものを体験してきたわけだけども、おそらくこれまでの僕の人生の中で最高級のサービス&エンターテーメイントだった気がする。ホントセレブな気分を味わえた(胃腸はそのセレブな体験についていけなかったもよう)。実は、クルーズそのものは2回目で前回は普通の会社だったけど、ディズニーは格が違った。子供から大人まで、喜ばせ方、満足させ方をホントによく知ってる。スタッフの教育もしっかりしてて、アメリカでありがちな、不快な思いをすることは一切なかったし、エンターテーメントのコンテンツは他の企業には絶対真似できない充実ぶり。ミッキーって、やっぱり偉大。ショーでミッキーが出てくるだけで大盛り上がりやもんな。。。ある意味、反則。

もちろん、それなりの料金にはなったけど、毎日、食事、ミュージカルショー、最新映画、などなどが付いて来て、カリブ海旅行までできたわけだから、リーズナブルな価格設定なのだろう。おそらく、Kindleを普通のクルーズ会社、iPadをディズニークルーズ、と例えると良いかも。「電子ブック」というカリブ海クルーズを体験するだけなら、普通の会社で十分だけれども、それ以上の「操作性」・「アプリ」など(ショーなど)も追及してくるのがディズニー、という感じか。例えば5~10年に一回くらいこういう贅沢はアリかも。(お金があれば。。。)

長女も5歳だから断片的でも良いから、大人になるまで記憶が残ってくれると良いのだが。