2010年7月31日

引越当日

朝4時半起き。

良い意味では時差ボケ対策、悪い意味ではただ単に引越の準備が未完全だっただけ。

引越業者は9時半―10時半の間に来ることになっていた。もしかしたら30分くらい早く来るかも、と前日の電話で聞いていた。

今回の引越は、Sterlingという会社に依頼していて、下請けとしてGDKなるところがアメリカ側の引越を担当してくれることになってた。

そしたら、ほぼ9時にGDKのクルー二人が来た。幸先良いスタート。

まず、何を運び出し、何を残すか確認。

すると、段ボール箱などの引越グッズ一式を玄関のそばにセットし始めた。

ところが。。。

リーダー的な人が携帯で上司か誰かと話をしてると思ったら、「どうやら僕らは他のところへ至急行かないといけないみたいで、一旦ここを去る」と。。。

「他のクルーがすぐ来るから」と言い残し、セットした引越グッズをすべて置いたまま去ってしまった。。。(さすがにこれには意表をつかれた。)

10時半になっても誰も来ないからSterlingへ電話。

どうやらマンハッタンでemergencyなことが起ったみたいで、それでも13時までにはクルーが来るだろう、と。

ということで、午後に予定してた細かい掃除などを前倒しでやったり、ランチをとったりして待つ。

が、13時を過ぎても来ず。。。(たぶんそういうオチだろうとは思ってはいたが)

再びSterlingへ電話。また。

まだ来てないの。。。と担当者。

すぐ折り返し電話するから、と言って電話をきった。

しばらくしてから、GDKから直接電話が入り、16-18時には来れるだろう、と。今日中に絶対運び出さんといかんのだが、と言うと、それは大丈夫、と。

さらに掃除などを前倒しして待つ。

17時を回っても業者は来ず。

今日が最後のプレスールから、長女が戻って来た。仕方ないから二人で公園へ遊びに行く。

すると、嫁さんから電話が入り、ようやく業者が来た、と。。

公園から戻ってみると、家の前にはヴァンが一台だけ停まってた。。。
これで運べるわけがない。

ウチに入ってみると、一人のクルーがテキパキとパッキングをしてた。

聞いてみると、他の連中はすぐ来る、と言う。が、そんな言葉はもう信用できねぇよ、と思いつつ、とにかくその彼の洗練されたパッキングの様子を家族で見守る。

すると、18時半ごろだったか、4人くらいの男たちが続々と家へ押し入って来ては、パッキングを手伝いだす。

どうやら本部隊到着らしい。

夜、他の人へ売るはずの大きなベッドまで危うくパッキングされそうになったが、何とかそれを阻止し、19時半にはすべてのものを運び出してくれた。パッキングそのものはしっかりした感じで、運んでる途中の破損リスクは「意外と」少ないかも?と思いながら眺めていた。

と、何とか引越NJ編は完了。

いろいろhidden feeなどがあるのだろうが、極力ものを減らしたので、何とか予算内にオサマって欲しい。あとは、税関やら引越UK編でまたいろいろあるのだろうが、とりあえずそれは少し後のお話になるのだろう。

ちなみに、この日の夕食は、テーブルもないので、残った段ボール箱を食卓代りにしてディナー。紙皿やら一部欠けた皿たちで食卓が彩られた。一方食料は大量にあまっていたので、食事そのものはテーブルや食器ほど貧相ではなかった。ビールも二本呑めたし。

なかなか長い一日でした。。。

ということで、明日なんとかNJをたつことができそうです。

2010年7月29日

引越前日

明日、引越業者が入って荷物を運び出し、土曜日の夕方NJをたちます。

ビザが発行された前後のこの一週間、引越準備、ムービングセール、航空チケット予約、大学関係者とのやり取り、まだ決まってないグラスゴーの住居探し、などなどに追われてます。

引越は、2ヶ月くらい前くらいから業者探しをはじめたけど、アメリカは日本以上にヤクザというかアナーキーな業界らしいことがわかり、何とかSterlingなる―これまでのところプロフェッショナルな対応をしてくれてる会社―に依頼中。明日の午前に荷物を運んでいってくれるらしいけど、ホントに来てくれるんだろうか。。。

ちなみに、家族が4人になって、その膨大な量の荷物にかなり悪戦苦闘中。(子供のおもちゃ&本が、僕のオフィスの書籍類より多くなってた。。。おそるべし。。。)

ムービングセールは、割と遅いタイミングで売り始めたけど、嫁さんの尽力のおかげでかなりの物がさばけた。短時間にいろんな出会いがあって、それはそれで興味深い体験だった。

航空チケットは、片道。
今回はKLMを使って、アムステルダム経由でグラスゴーへ。グラスゴーでの入国審査はどんなものなのだろう。もしオフィサーが強烈なスコティッシュアクセントの持ち主だったらどうしよう。。。

大学関係者とは、来週2日から数日間必要になるであろうセットアップ関連の手配をメールでやり取りする。人的な組織を早いとこ学ばないといけない。あと、要職の人たちの名前と顔も覚えないといけない。外人さんの名前は未だに一回聞いただけでは覚えられない。。。

家探しは、希望している地区の物件が出てはすぐに他の人に押さえられるという状況が続いていて、違う国にいて8月1日以降でないと物件見学すらできない、という不利な点が露呈されてた。

けど昨日、そこそこの物件が一つちょうど空きが出て、来週2日朝に見学させてもらうことになった。他に良い候補は今のところないから、大きな問題がなければ、すぐアプライすることになるかも。6月に一旦行って土地勘をつけてきたのは非常に役に立ってて良かった。

先週土曜夜は、これまで親しくさせていただいた人たちとホームパーティー。「NJに住んでいる」という意味ではあれが最後だと思いますけど、今後いつかまたどこかで必ず呑み会をしたいです。ホントお世話になりました。

と、住む国を変えるのはホントいろいろレアなイベント目白押しでバタバタですが、何とか一つ一つクリアしてます。

2010年7月26日

UKビザ取得

UKビザが無事発行されました。なかなか手間のいるプロセスだったので、備忘録的にまとめます(*僕は米国内で取得したので、日本で取得する場合は若干違ってくると思いますのでご注意を)。

まずビザに関する政府提供情報はこちら。そのリンク先の左コラムやQ&A形式で書いてあるページを何度もしっかり読めば何とか取れるようになっていた。

発行されたビザはPBS Tier2 General。嫁さんと娘二人は、それぞれPartner、Childというカテゴリーになった。

PBSとはpoint based systemの略で、ビザ申請の資格を得るのにのに必要な点数が決めれらているビザカテゴリーらしい。その点数の内訳として、
1.職場の確保
2.給料
3.学歴
4.英語力
5.初期の生活費(maintenance)
がありなかなか手強い。

その点数をゲットする資格があることを示す証拠書類をアプリケーションフォームやパスポートなどと一緒に提出する必要があった(以下詳述)。

UKビザゲットまでの大まかなプロセスは
1.UKでジョブをゲット
2.証拠文書をかき集める
3.オンラインでアプライする(同時に申請費を払い、バイオメトリックスキャンの予約をする)
4.バイオメトリックスキャンを受けに行く
5.証拠文書・必要書類が揃った時点でUK大使館へ郵送する
6.UK大使館から処理スタートのメールを受け取る
7.UK大使館からビザ発行のメールを受け取る
8.ビザとパスポートがUPSで送られる

僕の場合、5月上旬からビザ取得に動き出し、3ヶ月弱かかった。一番時間がかかったのは証拠文書の確保で、2ヶ月くらいは見ておくべきな気がする。

ちなみに、書類がすべて受理されてからビザが発行されるまでのプロセス時間はここで最近の状況を統計値として確認でき、PBS Tier2 Generalの場合、大抵5ビジネスデー以内には発行されるようで、僕の場合もそうだった。

ただ、前後の書類郵送期間があるので、UK大使館に書類を送ってからビザを手元にゲットするまで10日は見ておいた方が良さそう。

各論について:
まず、各カテゴリーでポイントをゲットする証拠に何を提出したか?
1.職場の確保
大学に発行してもらったレター
*certificate of sponsorship numberなる番号の明記が必要。

2.給料
大学からのレター(1のレターと同じ)

3.学歴
UK NARICのレター
学位記(筒に入ってる日本語のでかい学位授与証)
学位記の英訳(卒業大学から発行してもらったレターとUSビザ取得時に得た翻訳会社の翻訳文)

4.英語力
TOEIC speaking & writingの結果
TOEIC listening & readingの結果

5.初期の生活費
大学からのレター(1,2と同一)
*migrantに対して800ポンド、家族に対して各533ポンド必要。家族の名前、サポート額などが明記されている必要あり。

家族分は、ポイント制ではないけど、証拠文書として、
・婚姻証明書
・出生証明書
つまりは、migrantとの関係を明らかにできる公的文書が必要だった。

以上の証拠文書を集めたら、migrantに関しては、
1.パスポート
2.オンラインアプリケーションしたら後にダウンロードできるファイルのコピー(サインも)
3. Appendix5(手書きで記入)
4.顔写真(自分でデジカメで撮ってそれをプリントアウトした。こちらに詳細な規定。)
5.バイオメトリックスキャンの予約用紙(事務所でスキャンするとハンコを押してくれた)
6.証拠文書たち(そのコピーも)

partnerに関しては、
1.パスポート
2.オンラインアプリケーションのハードコピー
3.顔写真
4.バイオメトリックスキャンの予約用紙
5.婚姻証明書(そのコピーも)

childに関しては、
1.パスポート
2.オンラインアプリケーションのハードコピー
3.顔写真
4.バイオメトリックスキャンの予約用紙(5歳の長女は必要で、1歳の次女は不要だった)
5.出生証明書(そのコピーも)
を、指定されたUK大使館へ郵送。

---
もっと詳しく:

おそらく英語力証明と初期の生活費が難関(?)になると思う。

英語力証明について
僕の場合、英語力証明のためTOEICを受けた。

設定点数は非常に低いから受けさえすればOKなレベルだけど、TOEICは毎日開催されてるわけではないから、試験予約から成績証明を受け取るまで1ヶ月はかかる(あとお金も。。。)。日本にいてたら、他にも選択肢があるもよう。

試験関連の過去エントリーはこちらこちらこちら

初期の生活費について
これは、貧乏人が入国してUK政府からの生活補助を使ってくれるな、という意図があるようだ。なので、リーズナブルな条件だとは思うけど、家族が増えるとこれがいやらしい問題になる。migrantは800ポンド、さらに家族一人につき533ポンド必要だから、僕の場合、約2.4Kポンド(約3.6Kドル)必要だった。

その証拠を示す選択肢はいくつかあるようだけれども、僕の場合、
1.大学のレターでそのサポートを明記してもらう
2.自分の銀行口座のオフィシャルな残高証明を3ヶ月分提出する
が考えられた。

2の条件がこれまたやっかいで、一つの口座で過去3ヶ月そのリミットを下回ってはいけない、という基準を確実には満たしてなかったので(それはそれでウチの財政に問題があるわけだけれども。。。汗)、1の選択肢で行くことにして、大学にお願いした。

ちなみに、学歴証明に関しては、UK NARICなるところに、日本の博士号はUKのPhDと同等だ、という証明書を発行してもらった(あくまで形式的な評価であって、日本の博士号ホントは大した事ない、といった質的な評価はしないから安心して良い)。

ウェブで審査依頼をすると、ファックスで必要書類を送るように指定され、それらを送ると1ヶ月くらいでレターがうちまで送られてきた。この申請時、日本語の学位記を出さなかったら、そのレターの但し書きとして、オリジナルの学位記がいる、とあった。なので、ビザ申請時には、でかい学位記をレターサイズになるよう折り曲げて送った。

---
最後に、ビザアプリケーションプロセスの詳細情報を、自分のケースについてまとめると:
まず、証拠文書がほぼ手に入ることが確実になった6月下旬に、オンラインで必要項目を記入しては申請費を払い、バイオメトリックスキャンの予約を入れた(この辺は申請国によって違うみたいなので要注意)。

バイオメトリックスキャンは近場のハッケンサックでやってもらった(他にもいくつか選択肢があって、いろんなところでやっているもよう)

パスポートと予約用紙を持って家族で事務所へ行くと、指紋スキャンと顔写真撮影があり、予約用紙にスタンプとサインをしてくれた。待ち時間はほぼゼロで、担当者も手際と愛想もよくストレスフリーだった。一人5分くらいのプロセス。約1歳の次女はこのプロセスは免除。

必要書類は、家族分まとめてuspsのexpress mailでマンハッタンのUK大使館へ送ったら、数日後に申請書類を受け取ってプロセスに入ったとのメールが来た。さらに数日後、ビザを発行してUPSで送ったとトラッキング番号付きのメールが送られてきた。

そして今日、無事ビザが届いた。パスポートの査証ページにビザが貼られていた(この辺はUSビザと似た感じ)。

USビザと比べると、お金がかかったり、ウェブで見つかる情報が政府提供のものだけだったり、バイオメトリックスキャン以外はオンライン・郵送での処理だったりと、人と接する時間が設定されておらずいろいろ不安な点はあったけど、結果的には政府提供の情報通りプロセスすれば、プロのコンサルタントサービスなしでビザを得ることは可能だった。

ちなみに、ビザの期間は3年間。もう一度更新して5年以上滞在すればグリーンカードの申請資格を得ることができるもよう。

2010年7月25日

E-ZPassのアカウント閉鎖手続

車を売ったので、EZパスはもういらなくなった。
ということで、アカウント閉鎖の手続きをする。

ウェブのcontact usだった思うけど、そこからアカウントクローズのためのウェブメールを送れるようになっていたので送る。

すると数日後にメールが送られてきて、添付されたPDFファイルに必要事項を記入し、タグと一緒に送ってね、とあった。

ということで、そのフォームとタグを金曜日にuspsで送った。

予定としては1、2週間でアカウントが閉じられ、前払いしてたお金を取り戻せるはず。

追記(8/9)
アカウントに残っていたクレジットが8/6付けで払い戻しされてました。ウェブのアカウントも閉鎖されていて、アクセス不能に。なので、タグを送付して10日ほどでアカウントが閉鎖されたことになる。

2010年7月23日

車売却

車売りました。

引越時、車売りはストレスフルなイベントの一つ。もし誰でも欲しくなる良い状態で車を持ってれば楽なんだろうけど、ウチの車は昨年の悲劇のおかげで価値は暴落してしまってた。。。

こういう場合、1ヶ月かそれ以上かけて個人売買でもすれば良かったのだろうけど、個人売買は面倒くさそうだったのでディーラーで売ることにした。

Toyota正規ディーラーや後述の中古車ディーラー、あとAutoTradeで査定してもらったけど、結局、プロが見る査定額はどこも同じだった。

結果的に売ったのはメイセイモーターズなる日本人夫婦の方が経営されている中古車ディーラー。査定額はどこも同じだったから、どこで売っても良かった。けど、非常に丁寧な対応が決め手となりここで売った。(というか、こちらは売ってお金をもらう方だったから、ある意味、悪いことをしたのかもしれない。。。)

Toyota正規ディーラーに2軒お世話になってみたけど、どちらも対応悪でむしろ腹が立った。

新車販売ではなく、中古車取り扱い部門の人とやり取りしたからかもしれないけど、Toyotaとトヨタはもしかしたら全く別会社なのかもしれない。つまり、日本的なすばらしいサービスは微塵も感じられなかった。

売って新車か中古車を買うなら少し違ってたのかもしれないけど、売るだけ、と意思表示すると態度が豹変してた(気持ちはわかるが)。おかげでToyotaに対する印象は非常に悪くなったので、今後の車選びの意思決定にも大きく影響するだろう。。。

それはともかく、メイセイモーターズは非常にすばらしかったので、経過を少し詳しく。

まず、嫁さん経由でこちらのサイトを知り電話してみた。(リンク先ではなぜかSAEILO MOTORSとなっている)

英語で対応されるのだろうと思ったら、「もしもし」と聞こえてきた。。。

日本語でアポをとって、お店へ出向いて査定をしてもらい、見積書的な書類をいただく(10~20分)。

こちらの希望で、その二日後(今日)に車売却。
その場でチェックを発行してくれ、さらに、自宅まで車で送ってくれた。。。

ディーラーの場所はミツワから南へ数分走ったところ。日本人が帰国の際などによく車を売られているそうなので、中古車ディーラーとしては良質な車を扱っているのではないかと思われる。

もしNJ周辺で中古車を探していたらMUST VISITなお店か。

ちなみに、売却額は月給より安かった。。。(さらに月給はとても多いとは言えない。。。)

走行距離は6万マイル強。その意味では、それなりに元は取ったと考えるべきなのだろう。。。

2010年7月22日

Sesame Place

車のある最後の週末ということで、少しだけ遠出してセサミプレースへ行く。

セサミプレースは、セサミストリートの遊園地。

ここの特徴は、水着を来て園内を歩き回れ、ウォーター系アトラクションが半数を占めてて、乗り物系は5歳くらいのキッズならほぼすべてOK、という家族連れにフレンドリーなところ。

2年前に行ったことがあって、嫁さんと長女の希望で、最後の遠出として今回選出された。

オープンの10時頃に着くように行ったけど、すでにすごい人手でゲートには行列。アトラクションも、ものによっては20分以上待つこともあったか。

けど、並ばずに自由に遊べる巨大プール公園みたいなアトラクション(これが大人も十分楽しめる!)があったりと、全体的に良い感じで客がそれなりに分散してた気がする。

ところで、その公園アトラクションで思ったけど、ランダムなサプライズが散りばめられたアトラクションは飽きさせない(文字通り予測が難しい)から、結果的に大人も楽しめるのかもしれない。

それはともかく、この日も90度を超えるヒートウェーヴ。。。

大量に水ボトル&ジュースを持ち込んで正解だった。

17時頃まで楽しむ。

ところで、ここのスタッフの皆さんからはディズニー系のようなプロフェッショナルぶりは全然感じられず、ややフラストレーションがたまった。というのは、乗り物で待ち時間があるのは良いのだけれども、回転効率がアメリカンな感じで、バイトの人が結構レイジーだった。

特に大きな浮き輪みたなボートに乗ってスライドを滑っていくアトラクションがひどく、みんなウンザリしてたり、折角並んでたのに途中で怒って別のところへ行ってるグループもいてた。。。アメリカの二流リゾートなんてそんなものなのだろう。。。

それはともかく、遊園地そのものは楽しいアトラクションがたくさんあって、子供はもちろん、大人もなかなか楽しめた。

ちなみに、sesame place promo code 2010でググるとクーポンサイトがひっかかり、6ドルオフでチケットをゲットして行った。土曜日は使えないクーポンだったけど、駐車場代は浮いた(それでもチケット代は高いのだけれども。。)

と、NJ生活中おそらく最後であろうレジャーを楽しんできました。

Taste of Thai

週末土曜日、RidgewoodにあるTaste of Thaiというレストランへ行く。

25ドル割引クーポンがあって、35ドル以上の食事をすると使えた。

Ridgewoodにあるから店周辺の雰囲気は非常に良い感じ。店内は小さいながら小奇麗な感じだった。

春巻き、パパイヤサラダ、チキンのソテー、パッタイを頼む。
味は全体的に雑な感じだったかも。。。

大学近くのタイレストランの方がおいしいかも。。。

デザートとして抹茶アイスを頼む。
これはおいしかった。

ちなみに、値段は高すぎもせず、リーズナブルか。

子供連れで行った。1歳の次女は寝ていたから良かったけど、もし起きてたら、店の雰囲気的にやばかったかも。。。

店員さんの対応は良くて、店前の通りにストリートパーキングできた。土曜日18時以降に行ったからタダだった。

それにしてもアメリカに来てタイ料理は良く喰ったな。。。

2010年7月19日

verizon解約手続き

先週、verizonの解約手続きをする。

こちらに説明あり。

電話するとまず自動アナウンスがあり、それに従ってダイヤルボタンを押していきオペレーターにたどり着く。

リサさんというオペレーターとつながり、7月31日に全サービスをdisconnectしたいと伝えると、手際よく処理してくれ、最後にconfirmation numberを発行してくれた。

午前に切れるらしいので、一応アパートを完全に引き払う翌日の8月1日に切ってもらうことに。

インターネットモデムを返したりする必要はなく、これでall setとのこと。

オペレーターのリサさん曰く、「あなたの前に話した人はオーストラリアに行く、と言ってて、今度はUK。私も海外に行きたいよ」と。。。

なかなかフレンドリーな対応で良かった。。。

とにかく、接続や修理は大変だったのに、解約は簡単みたい。。。
どないやverizon。。

2010年7月17日

里帰り帰国

2週間ほど一時帰国して、火曜日にNJへ戻ってきました。
このエントリーはその記録。

6月28日(月)~29日(火)
JFKから成田へのフライト、なぜかビジネスクラスへアップグレードされた(超ラッキー!!)

人生初。

フルフラットのシート、コースとして出てくる機内食、レストランのようにボトルでついでくれるワイン、やや厚みのある布団、などなどを堪能。

普段座ってるシートから10メートルくらい前方に座るだけで、こうも世界が違うのかと思うと、なんだか世の中の縮図が文字通り凝縮されている感じでおそろしい。。。

ビジネスクラスだと長時間フライトの疲れはホントに違った。

日本では、成田>セントレアと経由し、嫁さんの実家へ。ジメジメとした日本特有の気候の洗礼を浴びる。

夜、日本戦をフル観戦。
残念でした。。。

30日(水)
朝、UK生活セットアップ時に必要になるかもしれない国際免許を取得。
平針の免許センターに行ったら10分くらいで発行してくれた。

何も考えず8時台に出かけたら、ちょうど通勤ラッシュだった。名駅からの地下鉄は、楽しくないところへ向かう乗り物へみんな無言で次々と乗っていく超混雑したアトラクション、と化していた。みんな毎日あれを体験してると思うと気の毒になる。。。あれだけで、その日の体力を消耗し、生産性の低下につながってないか。。。

ついでに株主配当金を郵便局でゲット。

午後、市役所へ行き、アメリカでも払い続けてきた年金支払いの停止手続きをする。
渡された用紙に日本の住所などを記入するだけで、別に海外に住んでることを証明したりする必要はなかった。(海外転出届は出してるから、それで良いのかもしれない)これで、円ベースの老後資産は、年金保険の一本に。

その後は、時差ボケにつき撃沈。

7月1日(木)
嫁さんの実家のすぐそばに、東関部屋の稽古場があり、名古屋場所に向け力士たちが毎朝7時くらいから稽古を始めていた。

長女と行って少し見学。
高見盛を至近距離で拝む。

午前、嫁さんが病院へ行くということで、家でベビーシッターをする。
午後はベビーシッターによる疲労+時差ボケにつき、ひたすら爆睡。

帰国後数日くらいだと、ホントいくらでも寝てしまうからかなり危険。。。

2日(金)
嫁さんは次女を連れて知人宅へ。
僕は長女を連れて名古屋港水族館へ。

イワシのトルネードは尋常ではない。

イルカの水槽は超巨大だし、名古屋港水族館は世界的にもハイレベルなのではないだろうか。
少なくとも、NY水族館より充実してた。

帰り、長女に「何がよかった?何を勉強した?」と聞いたら、ノーコメントだった。。。

夕方前に帰り、夕食まで爆睡(また)

3日(土)
嫁さんは、朝から夕方前まで、知り合いの結婚式・披露宴に参加。

昼、ラーメンを食べに行こうということになり、華丸なるラーメン屋へ。
雨にも関わらず数組の行列が外に。

味玉そばをいただく。

ユニークな味のするスープで、全体的に非常にグッドで、スープも飲干す。
ゴチになりました。

夕方は、嫁さんとバトンタッチで、僕が名駅へ。
基生研時代の知り合いとの呑み会。

今回は、昨年まで東海岸にいて関西へ移った元同僚二人や、岡崎から関西へ移った元技術補佐の方など、みんなはるばる呑み会のために来てもらって、超恐縮しながら呑み会スタート。

時間は7時から11時前くらいまでと短かったけど、盛り上がって楽しい呑み会でした。今回の一時帰国中、研究関連の知り合いと会ったのはこれだけだったけど、いろいろ話ができて良かった。

4日(日)
午後、長女を近くの市民プールへ連れて行く。

時差ボケはほぼ解消して、懸案だった日本に残している荷物の処理に取り掛かる。
とりあえず、UKに持っていきたいCD群をiTuneに入れるべく、100枚くらい選ぶ。

5日(月)
ランチにばり馬なるラーメン屋へ行く。
なかなかいけた。

この日はとにかく暑く、外で遊ぶ気がしないということで、近くのショッピングモールで時間をつぶす。。。

6日(火)
僕の両親が愛知入りし、嫁さん側の家族の方と会いつつ、次女のお宮参りをして、夕方は懐石料理をいただく。

まず午前、親のピックアップのため、長女と小牧空港へ行った。セントレア開港後あまりにも変わり果てた小牧空港の姿にかなり驚いた。。。

お宮参りは国府宮神社にて。
初めて行ったけど、非常に立派でクーラーのよく効いた神殿?でお参りをする。

7日(水)
この日から僕の実家がある熊本へ。

午前中、名駅前で親と待ち合わせし、小牧―福岡の飛行機に乗る。
JALのフライトアテンダントのキッズへの気遣いはなかなかすばらしかった。

親は、車で空港まで来て駐車していたので、福岡空港から実家には車で移動。

途中サービスエリアに寄ってまたラーメンをいただく。
これまた普通にイケた。。。おそるべし日本。。。

夕方、7月生まれの家族メンバーが多いということで、近くのフレンチレストラン・アンティークで誕生日会。

このフレンチレストランは昨年の一時帰国の時にも連れて行ってもらったところだけど、少しカジュアルな雰囲気もありつつ、結婚式場と併設しているだけあって料理はグッド。オードブルからデザートまで、フルコース爆食。

8日(木)
午後、お墓参り。

嫁さんに指摘されて気付いたけど、確かに昨年お参りしてから昨年の運気が良くなった(因果関係はともかく、時間的な相関があるのは事実)。ということで、暑い中、短時間ではあったけど、できるだけお墓をきれいにしてお参りをする。

歳を重ねるにつれ、こういうイベントの重要さが少しずつわかるようになってきた。
生きるってホント大変だし、命をこうして引き継いでもらっている、ということには深く感謝しないといけない。

9日(金)
実家から徒歩圏内にある遊園地グリーンランドへ行く。朝一から。

ネーミングこそもう一つな気もしないでもないけど、三井が経営してるかなり大きな遊園地で、充実振りは富士急ハイランドやエキスポクラスで、田舎の割りにすごいリゾート。

この遊園地へ最後に行ってからもしかしたら20年とかそれくらいのスパンがあるかもしれないけど、アトラクションは昔よりかなりパワーアップしてた。

が、平日ということもあり、園内はかなり閑散としていて、ローラーコースター系も含め、ほとんどの乗り物は待ち時間ゼロ&貸切状態で乗れた。

園内を一通り一週したらちょうど夕方前の良い時間だった。

料金はそれなりにしたけど、コストパフォーマンスという点では悪くなかったか。
長女はかなりエンジョイしてたもよう。

遊園地の後、親父の誘いで温泉へ。

車で20分くらいのところにある玉名温泉のつかさの湯なる温泉施設へ行った。いろんな風呂があってなかなかグッド。

そして夕食はうちで食べ、その後、うちから徒歩5分くらいの兄の家へ移動し、兄弟+嫁さんたちで呑み会。こういう呑み会は、親がいると話せない話題になるので楽しい。1時頃まで呑む。

朝一から深夜までなかなか充実な一日でした。

10日(土)
週末は、兄家族も含め3家族で阿蘇へ。

エステマクラスのワゴンをレンタカーとして借りて移動し、まず大観峰を拝む。

宿泊したところは阿蘇の司なる大きいホテル。
夕方前に着いて、夕食までは長女と甥が屋内プールへ行きたいというので、その二人の監視員を勤める。ジャグジー的なアトラクションが埋め込まれた温水プールでそれなりに楽しめた。

夕食は、イタリアンのバイキング。
アメリカ国内で旅行した時の食事に比べたら格段に良かったか。

風呂は露天風呂付きの大衆浴場。
部屋は可もなく不可もなく、普通か。

11日(日)
朝食はこれまたバイキング形式。

チェックアウト後、ホテルのすぐそばにある熊牧場・カドリードミニオンへ。
僕は全然知らなかったけど、志村けんの番組に登場するパンという名のチンパンジーが有名らしく、そのショーが呼び物らしい。

そのショーを観たけど、確かにプロフェッショナルなエンターテーメイントショーで、リピーターもいるのではないかと思った。メチャ楽しかった。チンパンジーのパンより、ニホンザルの方がすごい芸を連発しているなぁ、と思ったのは僕だけではないはず。。。

ちなみに、そこは「熊牧場」というだけあって、熊がたくさんいてた。
あと、口蹄疫の影響で、豚のイベントなどが中止されていた。こんなところにも影響が。。。

午後は、阿蘇ファームランドなる、阿蘇で今最もホットらしいスポットへ。
熊牧場からは車で10分くらいだったか。

そのファームランド、お土産ショップやレストランが巨大施設に大量にあって、子供用アスレチック施設や温泉、そして円形の形をしたユニークなコテージタイプの宿泊施設がある一大レジャー施設。

規模的にはかなり大きく充実していた。

まず昼食としてバイキングを摂る(また)。それほど空腹感を感じていないのに、食べ始めるとなぜかデザートまでフルに入ってしまうところがおそろしい。。。

食後、子供たちとアスレチック施設へ。
雨だったので、半分くらいは遊べなかったけど、これまたなかなか充実してた。

夕方前に帰宅の途へ。

夕食は家の近くの焼肉屋へ。。。(正直、連日の暴飲暴食で、その時点で最も避けたい類の食事ではあったが、近場の候補としてはそれくらいしかなかったもよう)

またまたそれなりに食べてしまう。。。

夜、選挙特番で民主党大敗を確認し、相変わらずタレント議員なる素人さんが票を集めるべく動員されている相変わらずな様子を見て、それを恥ずかしく思いつつ就寝。日本が良くなるにはまだまだ時間と忍耐力が必要なのだろう。。。

12日(月)
なぜか3時半に目が覚める。勝手に。

W杯決勝を観戦。
どちらが勝ってもおかしくない展開で、非常に良いゲームだったのではないか。スペイン、なんだかんだ言って前評判通りの強さだった。アルフォンソやハイメはさぞ喜んだことだろう。(数日前にはハイメの二人の赤ちゃんが産まれたという吉報が入っていたところだったので、ハイメはダブルで盛り上がったはず。)

この日は、また嫁さんの実家へ戻る日。
午前中、空港へ移動し、昼ごろの飛行機で小牧空港へ。

義理母が車で迎えに来てくれていて、その足で昼食・役所・買い物をする。

日本での最後の夕食はチラシ寿司でした。(ホントに大量に旨いもんにありつけた一時帰国でした。)

13日(火)
朝、セントレアへ。
通勤時間と移動時間が重なってはいたけど、それほどの混雑には巻き込まれず、無事セントレアへ着いた。

セントレア>成田と移動し、JFK行きの飛行機へ。

期待はしてなかったけど、やっぱりエコノミーだった。
しかもボーイング747で、シートにエンターテイメントシステムはついてなかった。。。

帰国時のようにゲームができると期待してた長女は、それにショックを受け泣き出す始末。。。
ラップトップにデフォルトで入ってたゲームでお茶を濁す。

飛行機で最も心配していたのは、1歳足らずの次女がどれくらい暴れるか、ということ。日本滞在中の二週間で、二足歩行を完全にマスターしてしまい、行動力が増し、自己主張する気配も出てきて、かなりterribleな状態になっていた。

が、すぐ後ろに座った家族連れが数倍手強かった。。。
文字通りterrible twoと思われる娘さんがいてて、泣きわめき、そのたびに娘さんを抱きかかえ、狭い機内を歩き回るお父さんにかなり同情した。

ああなると、仮にビジネスクラスでも疲労度は変わらないだろう。。。
来年の今頃、もし里帰りするとすると、あの状態に近くなるはず。想像したくない。。。

それも含め、帰りの飛行機はこれまでの人生でワーストレベルなフライトだった。
というのは、まず離陸が遅れた。
乗り継ぎの影響かわからないけど、一部の団体がかなり遅れて乗り込んできた上に、そのうち一人が乗り込んだか確認できないかなんだかで、その団体の責任者が機内を歩き回って確認。結局、1時間強遅れて離陸。

それでも、30分遅れでJFKに着く予定だった。

が、飛行機はクリーブランドを過ぎたあたりでまず一回旋回して時間調整。

そして、JFKまであと20分くらいというところで機長からアナウンスがあって、JFKがあまりにも混んでるから一旦ニューアークへ着陸する、と。。。

ニューアークからでも家までの帰り方はわかるし、まぁ良いか、と思ったら、ニューアークに着陸後、また機長からアナウンスがあった。これから燃料補給してみんなをJFKへ運ぶ、と。。。

燃料補給と、新しいフライトの手続きかなにかで、結局機内に1時間以上閉じ込められ、ニューアーク>JFKの追加フライトを楽しむことに。

直線距離にしたら、一飛び10分くらいなのではないかと思うけれど、まず飛行機は南方向へ向け高度を上げていった。小型の飛行機が登るであろう雲の上まで上昇。

南には位置的にはトレントンあたりまで行ったのではないか。

そこから方向を変えてJFK方向を目指し、普通に着陸。

さらに、着陸してからターミナルに移動するまで機内で10分以上待たされ、結果的には予定より4時間くらい遅れて飛行機を降りた。。。

入国審査はもちろん、さらには税関検査から出口までもが長蛇の列で、JFKを出る頃は夜9時ごろで暗くなってた。。。

そこから地下鉄・バスを使って帰ったけれど、バスに乗るのにこれまた無駄に1時間くらい浪費してしまい、家に帰り着いた時、日付が変わっていた。。。

ドアドアで27時間くらいかかったのではないか。。。

長時間の移動だったにも関わらず、時差ボケのためか、娘たちも含めテンションはなぜか高かった。。。

---
と、里帰り帰国をして、日本の良い点、悪い点を改めて認識。

良い点は、やはりサービス。
如何に日本ではサービスが量・質ともにすばらしいか再認識した。個人レベルの質はもちろん、それだけ多くの職がサービス向上のために作られているなぁ、と思った。

後者は裏を返せば、効率性という点ではある意味無駄になるかもしれないので、その分は削る余地ありなのかもしれない。が、一方で、そうい職に就いて何とか生活できている人がたくさんいるはずで、そのおかげでより良いサービスを受けられるという点もある。なので、給料の格差が広がるよりは、そういう格差が比較的まだ小さい社会は日本のある意味良い点な気がする。

関連して、遊園地でアトラクションの運転を担当している人たちの多くが退職前後の世代だったのが印象的だった。もしかしたら僕の実家は田舎なので、若い労働力が少ないだけなのかもしれない。が、そういう年配の人たちは当然、若い人より子供への接し方などが非常にフレンドリーになったりするし、教育されてなくても自然とサービスの質が上っているなぁ、という気がした。

あと食事。
改めて日本のあらゆる食文化をもっともっと輸出すべきだと思った。特にアメリカに。

悪い点は、政治やマスコミは言わずもがなだけど、過剰なエコはやや気になった。例えば、アメリカとのギャップとして、エアコンの設定温度の高さは「不快」の閾値レベルだと思った。アメリカの効きすぎてるエアコンに慣れてしまったのかもしれない。。。

もちろん、エコを推進して地球環境の悪化に歯止めをかけないといけないという立場には賛成だけれども、どれくらいの効果があるのか、科学的な根拠に基づいてすすめていかないと、単に人力を浪費するだけで、経費削減のための「エコ」が陰で進められていないだろうかと不安になった。

これだけ電力消費を減らしたら、これだけの効果(経済的ではなく地球環境に対して)があるという根拠があるのだろうか。経済効果という点に関してすら、表面的な経済効果(電気代)は計算できても、実際働いている人たちの生産性が低下して、マージンとして経済的にマイナス、となったらホント無駄以外何物でもない。日本はそういう点でも、エビデンスに基づいて意思決定するという側面が弱いなぁ、という印象を改めて持った。実験的にいろいろ導入してどうこうという議論がすでに行われた上で導入されているとするなら、他の国のモデルにもなっていいけど、そうでないとするとある意味危険。

それから、子供を持つ親として日本を見た時、日本はハードの面で確かに充実している。例えば、トイレでは、用をたしてる時に子供を座らせられるチャイルドシートが備え付けれているところがあったり、エレベーターが設置されているところが多かったりする。これらはすばらしい。

一方、「ソフト」の面で、日本人と外国人の差がある。
日本で電車に乗った時、子供や子供を抱えた女性(例えば嫁さん)に席を譲ってもらえることはなかった。

帰りJFKのエアトレインに乗った時、座るところがなかったら、すぐに席を譲ってくれた。

これはたまたまではなく、これまで5年間、アメリカでは何度も体験してきたこと。

僕は日本で生まれ育ったから、それはそれでよいのだけれども、もしも子供の数を増やすことが国として大事だとすると、そういうソフト面を向上させないと、いくら子供手当てだ何だと言っても、人それぞれの意識レベルで少しずつ子供にやさしくなっていかないと、子供の数は増えないのではないか。

社会はハードよりソフトが大事だとするとなおさらではないか。

と、暴飲暴食などで遊び倒して来ましたが、そんなややまじめなことも少し考えた2週間でした。