2008年12月15日

ディフェンス

今日、研究所でショーンのPhD defenseがあった。
日本で言うところの学位審査。

ショーンはJNSに2つ、PNASに1つ、という業績を残して、めでたく・文句なしで学位取得。
トークでは、先日亡くなったHenry Gustav Molaisonさんを紹介しながらスタートし、データ量も豊富で、良いトークだった。質疑応答も深みがあった。

もちろん、うちの研究所でPhDを取るすべての人が、このレベルではないけど、平均的に言って、しっかり研究者としてのトレーニングを積んで学位を取る人がとにかく多い。

どこに論文が出た、ということも重要だけども、プロとしてやるだけの知識量・力量がとにかく重要な気がする。というか、僕がポスドクとしてアメリカに来てそれを痛感した。

日本と比較すると、やはりその後者に尋常ではない格差を感じる。

アメリカでは、広い神経科学を、システマティックに、普通に学べる。少なくとも僕が日本で大学院生だった時、神経科学をシステマティックに学べるところは皆無に等しかった。

今でも神経科学を学んで、研究して、神経科学者としてPhDを取るための学部(脳学部?)みたいなものがあるのか、と言われて、すぐには思い浮かばない。。。(知らないだけだと思うけど、すぐには思い浮かばない)

今の神経科学は、とにかくいろんな知識が必要。

例えば、神経経済学を研究するなら、アダムスミスの古典からネオクラシカルや行動経済学などの知識も必須。BMIだったらエンジニアリングなども大事だろうし、イメージングをするなら、光学や化学的な知識もいるだろう。

アメリカはその辺柔軟だから、これからこういう融合分野のための研究者をシステマティックに育成する組織がどんどん出てくるだろう。

日本は、ようやく神経科学全体をシステマティックに教えねば、という感じのように僕には映る。。。

これだけ人が多いのだから、そのための教育職ポストなんかをもっともっと設ければ良いのに、それからこういうシステマティックに教える、ということは塾や予備校ではないけど、日本の得意とするところのようにも思うが、そういう制度のための求人公募はあまり聞かない(というか聞いたことがない)。。。

神経科学者は放っておけば勝手に育つ、という時代ではない、というか独学のキャパは遥かに超えている。効率性を重んじて、貴重な人材を積極的に育成しないと未来はない。研究は結局のところ人がやるもの。お金だけの問題ではない。

やはり、大学院生はアメリカでやる方が絶対に良いなぁ、と、ディフェンスがあるたびに思う。アメリカの良い点ばかり指摘しているようだけど、これが厳しい現実ではないかと思う。

特に、全世界的に競争が激化しているわけだから、研究者として生き残るすべを大局的に・冷静に・合理的に考えたら、選択肢は自ずと絞られる気がする。

(やや過激な内容でしたが、危機感を共有するためにも、日本のためにも、あえて。。。)

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