朝、僕はいつも通り起きた。今日はラボへは行かず、自宅で論文を読み始めた。起業家は「ホット」な意思決定時において、リスクをとりやすいことを示した論文が印象的だった。
6時過ぎ、嫁さんが起きてきて、付け置き用スープ?を作り始めた。娘を7時過ぎに起こして3人で朝食をとった。娘の寝起きは悪くなかった。
出かける予定時刻は7時半だったけど、実際の出発は20分ほど遅れた。出かける前、嫁さんが昨日プレスクールからもらってきたターキーを、僕が袋から取り出し、その付け置き用スープにひたした。文字通り丸ごとのターキーだった。
外は寒かったけど、ほぼ平年並みの寒さらしい。まだ8時ごろだったから、というべきか、もう8時なのに、というべきか、とにかく静かな朝だった。
家族3人で小型のバスに乗って、ジョージ・ワシントン橋を渡った。前日、テロ警戒情報が流れたからなのか、平年通りなのかはよくわからないが、とにかく警官の姿を多く見かけた。
72丁目で地下鉄を降りたら、ちょうど開始時刻の9時だった。
地下から地上に出ると、さすがにあたりは人で埋め尽くされていて、先に進むのが大変だった。Central Park Westの通りから数十メートル離れたところにスペースを見つけて、そこで観る事にした。娘を肩車して始まるのを待った。
数分もしないうちに、メーシーズの巨大風船が現れ、マーチングバンドの、姿こそ見えなかったけども、その演奏が聴こえた。
パレードは華やかで観ていて楽しい。特にメーシーズの感謝祭パレードは、キャラクターの風船がとにかく巨大で見ごたえがある。
スヌーピー、ドラ、バズ・ライトイヤー、スポンジボブ、シュレック。
日本産のキティー、ピカチューもしっかり登場してくれた。
パレード自体はもう少し続いたのかもしれないけども、娘も満足したようだったので、10時半ごろ再び地下鉄に乗ってニュージャージーの自宅へ戻った。分散的にみんな移動し始めていたので、地下鉄内も特に混雑はなかった。もし最後まで残っていたら、それはそれで大変だったのかもしれない。
うちに戻って、ランチを食べ、少しゆっくりした後、嫁さんは料理の準備をいろいろ始めた。僕はターキー担当に任命されていたので、漬け汁からターキーを取り出し、水でターキーをまず洗った。
内臓はきれいに除いてあったのだけども、腹の中を洗おうと覗いたら、くの字に折れ曲がった「クビ」らしき肉塊と、袋入りで肝と心臓も入っていた。僕はこういうのには慣れていて何とも思わないが、嫁さんは「グロい」と言っていた。娘は意外とエンジョイしていた。
ターキーを洗った後、ハーブや、リンゴとたまねぎの煮物を詰め込んで、オーブンに入れた。
18時完成目標で、14時から焼き始めた。ターキーをうちで焼いて食べるのは初めてだったけど、作業そのものは楽しかった。
僕はやることがなくなったので、娘と遊んだり、新聞を読んだり、フットボール観戦したりした。嫁さんはその後もいろいろ料理を作っていた。
途中、ターキーをアルミで包むというプロセスがあったが、18時ごろこんがり焼きあがって、thanksgivingのディナーへ。なんだか、アメリカンな過ごし方である。
ターキー、期待はしていなかったけども、それなりにいけた。ただ、家族三人にターキー一羽はさすがに多い。10分の1くらいは消費できただろうか。これから数日ターキー料理を食べるのかと思うと、ぞっとするが、1年に一回だから良しとしよう。
それにしても、このgiving thanksという風習、今の時代でも表面的な部分を越えたものを少しは感じられるから、僕も好きである。
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